麗華監督は、このときの心情をこう語る。

「上野は世界一のピッチャー。彼女を失うのは日本にとって損失以外の何物でもない。ソフトボールへの思いを取り戻してくれるまで待とうと思ったんです。'10年の世界選手権も辞退したいなら、私が批判を背負おうと。“あなたは世界一。嫌なことを背負うために自分が横にいるから”と、彼女を励ましたのをよく覚えています」

 上野選手は落ち着きを取り戻した。

やる気が湧かなくても、続けさせてもらえるのならやろうと思ったし、どこかうれしい気持ちもありました。

 代表辞退のことも麗華監督が全部かぶり、いろんな批判を受け止めてくれた。自分のためにそこまでしてくれる人に、そうそう簡単に出会えるものじゃない。“麗華監督のために頑張ろう”と決心しました。彼女の言う“ソフトボールへの恩返し”を率先してやろうと前向きになれたんです」

子どもたちのスターに

 信頼を寄せ、強い絆で結ばれた恩師が'11年3月から日本代表監督に就任したことで、上野選手も代表に復帰。

 '12年ロンドン、'16年リオデジャネイロの両五輪は正式種目からはずれたため、大舞台に立つことができなかったが、'12年、'14年の世界選手権2連覇に貢献した。

 その一方で、'16年には肉離れや左ひざの負傷、昨年4月には下顎骨骨折で全治3か月の重傷を負ったが、乗り越えてきた。

 30代に入り体力的な心配もありつつ、ソフトボールへの情熱は消えることなく、大人の自覚を意識するようにもなった。

「30歳になったとき、母から“あなたも30なんだから、もっと大人の対応のできる人間になりなさい”と、言われて自覚を持ったんです。

 人間は、年相応の振る舞いが必要ですよね。'16年にソフトボールが東京五輪の正式種目に認められてからは、注目度も上がりましたし、数多くの子どもたちがカメラを向けてくる。それに対して笑顔で明るく対応をしなければいけない。だんだんそう思えるようになりました」

父・正通さん、母・京都さん、妹さんとの家族写真
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 所属先の柳川直子マネージャーは、ファンを大事にする一面をこう明かす。

上野には老若男女問わず、たくさんのファンレターが来るんですが、可能なかぎり、直筆で返事を書いています。ご両親の教育もあって非常に礼儀正しく、マメなのが彼女のいいところ。子どもたちへの気配りは素晴らしいですね。妹さんに甥っ子2人が生まれたことも大きいのかな。以前にも増して子どもたちを可愛がるようになったと感じます」

 後輩たちにも気さくな素顔を見せている。

 チームでも日本代表でも最年長プレーヤーになっている上野選手は、日常的に若いチームメートたちと接している。とりわけ、バッテリーを組むキャッチャー・我妻悠香選手には目をかけている。

「私は上野さんのひと回り年下。バッテリーを組んで6年になりますが、“ああしろこうしろ”と言われたことはないし、ぶつかり合ったことも1度もありません。私の意見を聞いてくれて、的確なアドバイスもしてくれる。チームを勝たせるために力を尽くしているのがよくわかります。

 グラウンドを離れると、岩渕監督の車に虫のおもちゃを置いて驚かせたりするようなイタズラ好き(笑)。甘いものも大好きですね。遠征先でスイーツを食べに行ったり、散歩がてらランチに行くこともあります。それに料理上手で、自宅で鍋を振る舞ってくれたこともありました。牛乳寒天もよく作って持ってきてくれるし、本当に面倒見のいいお姉さん。近くにいてくれて心強いです

 “鉄腕”でストイックな印象から、今は女性ならではの柔軟さと人間的魅力を持ち合わせた大人のアスリートに変貌し、進化を続けている。