更生した2人、共通点は“母への思い”

瀧川 そうですね。実は僕、三遊亭小遊三師匠にもすごくかわいがっていただいていて、前座のころはカバン持ちをしていたんです。僕の地元の名古屋公演にも連れていってくれて、高座にも上げてくれました。昔の仲間が、僕の晴れ舞台を見にきてくれたんです。ときには、信号無視で警察に捕まりながら駆けつけてくれました。

 ただ、小遊三師匠は「鯉斗がいるから、女性の黄色い声援が上がると思ったのに、どす黒い声援が聞こえてきた」と残念がってましたね(笑)。

原田 熱いですね!

瀧川 いまだに熱いやつらです。僕らはヤンチャはするけど、縦社会なので上を敬うんですよ。僕が落語家になって下っ端として「座布団返し」や「太鼓」をやってるのを見て、シンパシーを感じてくれたのかもしれないですね。

原田 やっぱり気になるのが、アウトローな世界にいた鯉斗さんと落語の出会いですよ。落語家になったきっかけを教えてください。

瀧川 まず、18歳のときに総長を引退したんです。ふと「このままだと母親を悲しませるだけだ」と感じて、すぐに引退を決意しました。

原田 すごくわかる! 実は僕も、昔はただの不良だったんですよ。

瀧川 そうだったんですか!

原田 それこそケンカもしたし、いろんなことをやらかしていたので、母には心配かけ通しでした。でも、20歳前後で事務所にスカウトされて、いいきっかけだと思って仕事を始めました。

興味深そうに瀧川鯉斗(左)の話を聞く原田龍二(右)
興味深そうに瀧川鯉斗(左)の話を聞く原田龍二(右)
【写真】イケメン落語家・瀧川鯉斗の着物姿がカッコ良すぎる

瀧川 おお……! 原田さんと僕が同世代だったら、仲間になって一緒にケンカをしてたと思います!

原田 もちろんだよ!(笑)僕自身は、芸能界にまったく興味がなかったから、はじまりはただ親を安心させるためでしたね。それが今でも続いているから、運命だったのかもしれないです。総長引退後はまず何をしたんですか?

瀧川 すぐに上京して、バイト情報誌に載っていたレストランでコックのバイトを始めました。そのころ、僕は役者を目指していたんですよ。しかも、たまたまバイト先のレストランのオーナーが元ミュージシャンで、芸能の仕事に理解がある人で、いろいろと協力してもらいました。

原田 すごい偶然ですね!

瀧川 そうなんです。そのお店では、年に2回、鯉昇師匠が独演会を開いていて、「役者になりたいなら、落語は見ておけ」とオーナーに言われて、初めて落語を見ました。それまでは落語のらの字も知らなかったです。

 そのとき、師匠が高座にかけていたのは人情噺の「芝浜」。そのあまりの素晴らしさに感動して、打ち上げで弟子入りを志願したんです。

原田 その日のうちに志願したんですか! 師匠もびっくりされたでしょう。

瀧川 びっくりしてましたね。でも、師匠は突っぱねるでもなく「落語家の仕事場は寄席だから、まずは寄席に行って落語を見てきなさい」と言ってくれて新宿末廣亭に通いました。何度も寄席に行って瀧川鯉昇師匠に弟子入りしたい、とお願いに行ったら「明日から来い」と。師匠に扉を開けてもらいましたね。