『よくやった』なんて言われたことがないけど

「農家なんかでも先を見据えている人は、作業時にクルマが入っていけるよう道を整備して、自分も後の代も作業しやすいよう環境作りにお金をかけるわけ。周りから『大事な畑をつぶして何が道だ。馬鹿垂れめ』なんてあきれられながらね。

 で、そういう家ほど子どもが跡を継いでる。俺も難儀するのはイヤだし、そこはまねしたいと思ってね。ウチのじいさんもさばけた人で早くから新しい機器を導入するタイプだったからさ。好きにやったらいいさ、と」

 正さんから仕事でノーと言われたことがないと栄作さん。とりあえず、思うようにやらせてみて、何かあったらフォローするのが西垂水家のスタイル。「だからといってよくやったなんてひと言も言われたことがないけどね」と笑う。

トラックに蜂を積む作業は北海道の地元の蜂屋も手伝いにきてくれる。仕事を終え焼き肉で仲間をねぎらう正さん(左後ろ)と栄太さん 撮影/伊藤和幸
トラックに蜂を積む作業は北海道の地元の蜂屋も手伝いにきてくれる。仕事を終え焼き肉で仲間をねぎらう正さん(左後ろ)と栄太さん 撮影/伊藤和幸
【写真】鹿児島→北海道の3600キロの移動を終え、大量の蜜箱を下ろす一家の一場面

 栄作さんの代になって、西垂水養蜂園は規模を拡大。最初は10~20箱から始まった蜜箱は、最盛期で1500~1600箱に膨れ上がった。跡継ぎのいない同業者から、蜜箱を置くのに最適な場所を買い受けることができたのも大きい。養蜂業における蜜箱の置き場所は売り上げを左右する。正さんの時代はその権利をめぐり数百万円単位の金が動き、ケンカもあったほど。

 父・栄作さんは時代に即した環境をこうして整えてきた。今度は、自分が元気なうちに、跡を継ぐ3代目の息子にも大きな苦労をさせたいと栄作さん。

俺が元気なうちならフォローできるし悔しい思いをして初めて人は知恵を絞っていろいろ考えるからね。だけど、改めて思うに親子3代で同じ仕事ができてるって本当に幸せなことだよ。栄太も弟の潤も跡を継ぐって言ってくれたときは本当にうれしかった。きっと、うちのじいさんも俺が継ぐって言ったとき、うれしかったんだろうな。この年になって、それがわかるよ」

コロナ禍で降って湧いた3代目の試練

 栄作さんの願いは思ってもみない形で現実となった。今年の春、栄作さんにがんが見つかったのだ。幸い、早期発見だったこともあり、予後の経過は順調だという。しかし、新型コロナウイルスの影響もあり、高齢の正さんと栄作さんは、今回の採蜜キャラバンを見送ることにした。

 それに伴い、栄太さんが従業員2名(うちひとりは弟の潤さん)の陣頭指揮をとり、採蜜から問屋との金額交渉までの一切を初めてひとりで担当することになったのだ。これが栄太さんにとって、試練になった。

いつか、自分の好きなように決められるときがきたら、ああしよう、こうしようと考えていたんですけど、親方も、大親方も来ないなんて突然すぎましたしかも、今年はあまり花が咲かない年だったんです。蜜の量でいくと昨年の半分ぐらい

 長雨の影響もあり、あまり花が咲かなかった北海道の夏。いつもの年なら花が咲き乱れ、蜂の状態もよくなるのがルーティン。栄太さんの焦りは大きかった。毎日、朝は4時に起きて山に入り、辺りが暗くなる夜8時まで作業する。睡眠時間を削っても、思うように量が採れなかったとき、思い出したのは祖父・正さんの言葉だった。

「鹿児島を出る前、大親方から『北海道はいいときだけじゃないよ。思いもよらない天候の年があって、今年は花も蜂もあまりよくないと思う』と言われていたんです。そのときは気にも留めなかったんですけど、すごいですよね」

 とはいえ、成果を得られなかったわけではない。蜜箱を置く位置などさまざまな工夫を施し、7月には惚れ惚れするような美しいシコロとアザミの蜜を採ることができた。

「問屋さんからも、『君が採るハチミツはお父さんやおじいさんが採るのとは違うねキレイだね』と言ってもらえて、うれしかったです。父や祖父は花の種類を混ぜて百花蜜にするんです。それは蜂のためでもあるのですが、問屋さんとの会話から、単花蜜を欲しがっていると感じていたので頑張りました」

 優しく成長を見守ってくれる問屋もいれば、安値で言いくるめようとする問屋もいた。