ジャッキー佐藤さんへの憧れ

 ダンプさんも中学2年生のとき全日本女子プロレス中継で見て、最初の衝撃を受けた。

「試合に負けた後のリングで、泣きながら歌っていた。そのきらびやかな世界と、はかないばかりの美しさが、14歳の私の心を打ち抜いてしまった」

 と、スポーツ紙のインタビューで語っている。しかしマッハ文朱は、3年もしないうちに引退する。

 そしてダンプ松本でなかったダンプさんが高校1年生の1976年、ビューティ・ペアが空前の女子プロレスブームを巻き起こした。ダンプさんは特にジャッキー佐藤さんに憧れて、親衛隊として追っかけまくったという。

 4つ下の長与さんはそこまでビューティ・ペアのファンではなかったというが、同時期にデビューした2人はビューティ・ペアのいなくなったリング上で不倶戴天の敵、因縁の仇敵、として死闘を繰り広げた。

 ライオネス飛鳥さんと組んだクラッシュ・ギャルズは、ビューティの再来ともいわれたアイドル系の善玉、老若男女問わず人気のベビーフェイス。

 そんな彼女らをダンプ松本の極悪同盟は卑怯な反則技で責め苛み、不公正なレフェリーによって勝ちをもぎ取っていく。熱烈ファンは、本当にクラッシュと極悪は仲が悪く、リングを降りても闘っていると信じた。それほどまでに、レスラーたちも観客も真剣だった。

『有吉反省会』放映から1年。春の終わりころ、将来を嘱望されていた若い女子レスラーがみずから命を絶った。

 彼女はリアリティーショーと呼ばれる、創作ドラマではなく台本なしのドキュメンタリーを謳う人気番組に出演し、わがままで気の強い役柄を望まれた。

 まじめで素直な彼女は、必死に応えようとした。かつてのような盛り上がりは今ひとつの女子プロレス界を、再びメジャーにしたい、盛り上げたいと使命感も帯びていた。

 しかしあまりにも演技が真に迫っていたため、視聴者の反感をあおった。役柄と本人が同一視された。彼女はネットで激しく誹謗中傷され、SNSも攻撃にさらされた。

 いろいろな、タイミングの悪さも重なった。新型肺炎によってもたらされた活動自粛により、彼女はリングで発散することも本業に打ち込んでネットの悪口雑言を忘れることもできず、金銭的な不安をも抱えるようになったのだ。

 そして彼女は死の少し前、悪口雑言が書き込まれる自身のSNSに、「愛されたかった人生でした」という文を綴る。

 彼女の衝撃的な死によって、SNSの暴走する書き込みの規制を厳しくしようという声も上がり、テレビのやらせ問題も再燃する。

 正直、私は彼女の死の報道によって初めて、彼女を知った。後の報道で、彼女がリングでも悪役を演じていたのを知る。そのとき、今どきの女子プロレスはこんなスタイルのいい可愛らしい子が悪役なんだとびっくりもした。