ずっと女子プロレスを追いかけ続ける伊藤さんも、冷静に分析する。

「あのころはなかったネットに、さまざまなコンテンツ。すべてが細分化もされている。ここまで娯楽の選択肢が多様な世界になってしまうと、女子プロレスに限らず何かの分野での一極集中、国民的大ブームは、もうないでしょう」

 ダンプ松本は、そんな時代を生き切って逃げ切った。

本当は生きた鶏の首をハサミで…

メイクをしていないと、朗らかな表情が多いダンブ松本 撮影:森田晃博
メイクをしていないと、朗らかな表情が多いダンブ松本 撮影:森田晃博
【写真】おでこに「極」の文字!極悪同盟時代のダンプ松本

 それにしても、職業が悪役。というのは、改めてすごい。昔の悪役は徹底的に悪役だったが、今のヒール、悪役を割り当てられたレスラーは一見あまり悪役に見えないどころか、あの彼女のような可愛い顔で小柄だったりもする。

 ファンは、あの悪役のあの華麗なキメ技が見たい、悪役のちょっと生意気な、でもそこが魅力のパフォーマンスを見たいと願い、ベビーフェイスと同じ声援を送る。だったら、本人も愛されたいと願うだろう。いや、彼女は弱くない。ダンプ松本が強すぎるのだ。

 ちなみに、『有吉反省会』では悲鳴と同時になんだか笑いも起きてしまった、丸ごとの鶏肉を叩きつける場面。あれを改めてご本人に伺うと、

「本当は生きた鶏を持ってきて、報道陣の目の前でハサミで首をちょん切るつもりだったんです。でも、生きた鶏が手に入らなくて」

 そう答えられ、なんだかもう、ダンプさんのサービス精神の旺盛さと悪役に徹する一途さには、何度も圧倒されるしかないのだった。

 さてピークは過ぎたものの、十分にまだ女子プロレスが人気だった1987年の冬。積もり積もった不満、もつれにもつれた人間関係に悩まされたダンプさんは、所属する会社までが嫌になっていく。

 そうして会社に無断で1988年1月4日、後楽園大会の終了後、記者を前に衝撃的な引退表明に持ち込む。同志たる大森ゆかりも、その10日後に引退を発表した。

 関係者を驚かせ怒らせながらも、2月25日、そろっての引退記念の大会が行われた。川崎市体育館のリングを最後に、いったん悪役ダンプ松本は現役を退くこととなる。

 1988年3月から芸能界入りし、大森ゆかりと「桃色豚隊(ピンクトントン)」というユニットでCDも出した。なんと、作詞はあの芸能界随一のヒットメーカー、秋元康さんだ。大ヒットにはならなかったが、タレント・ダンプ松本は定着する。

 個人的には、女囚さそりシリーズで看守役を務めたダンプ松本が女優としてはいちばん好きだ。一途な凶暴さの中に、なんともいえない悲しみがあった。

プロレスラーの引退宣言は新たな序章にすぎない」と、プロレスファンの間ではいわれているというが、ダンプ松本もその例外ではなかった。