グループサウンズの『ザ・タイガース』のメンバーでタレント、俳優の岸部四郎さんが8月28日、拡張型心筋症による急性心不全のため、千葉県内の病院で死去していたことがわかった。71歳だった。

人気を博すも波乱万丈な人生

 一世を風靡した『ザ・タイガース』。グループ解散後は俳優、テレビ、映画などで活躍し、個性派俳優&司会者として人気を集めていた。年収は2億円といわれた四郎さんだったが、'98年には知人の借金の連帯保証人だったことや浪費癖が重なり自己破産、所属事務所から解雇された。

 '03年には脳出血で倒れ、その後は視野狭窄や歩行に困難を抱えるなど後遺症に悩まされる。'07年には敏腕マネージャーでもあった最愛の妻を突然死で失い、さらにパーキンソン病も患うなど、まさに波乱万丈の人生だった。

 2011年6月、週刊女性は自宅近所の公園で歩行訓練をする四郎さんを取材している。その際、不安神経症と診断されたことを明らかし、

「予見不安なんです。転ぶんじゃないかとか。それで、少しずつ引きこもりがちになってしまって」と胸中を語っていた。

 その姿は、お茶の間を賑わせていたころのふっくらとした外見とはまるで別人のように痩せ細っており、世間に衝撃を与えることに。その5か月後に再び取材した際には、復帰を待ち望むファンの声に対し「こんな状態じゃ、出られるわけないよ」と弱音をポツリ。

 だが、その半年後の1月24日、四郎さんの姿は日本武道館のステージ上にあった。

 沢田研二(ジュリー)のライブツアー『沢田研二LIVE 2011-2012』に四郎さんの兄・一徳(サリー)、森本太郎(タロー)、瞳みのる(ピー)が全公演にゲストとして参加、その最終日に四郎さん(シロー)が駆けつけたのだ。

 '71年1月24日に日本武道館で解散コンサートを行っていた『ザ・タイガース』。なんと41年ぶりの同じ日、同じ場所に5人が揃ったということで、一夜限りの“再結成”となったステージは大きな感動を呼ぶこととなった。

 週刊女性では、当時のコンサートの様子をこう伝えている。

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 不意に一徳がベースを下ろすと、舞台の袖に消えた。そして、四郎と一緒に姿を見せたのだ。

 兄に支えられながら、四郎は自らの足でしっかりと歩いた。ステージの真ん中に用意されたイスに腰かけると、すすり泣く声があちらこちらから聞こえてきた。

 初めは緊張からくぐもった声で「こんなステージに立てるなんて夢のよう。ジュリーありがとう」と話した四郎。だが、次第に得意の話芸が飛び出す。

「1曲とはいわず2曲いきたいところですが、1曲ね」と言って笑いを誘い、女性ファンから「イケてるよ!」と声援が飛ぶと、「どこがイケてんねん」と軽妙に切り返して沸かせた。
 
 イスに座ってザ・ビージーズの『若葉のころ』を懸命に歌い上げると、この日1番の割れんばかりの拍手が。
 
 退場の際、体を支えている一徳に対して「誰?」などと持病の視野狭窄を逆手にとってボケるなど、最後まで四郎らしさを貫き、名残惜しそうにステージを去っていった。

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