強情な母がこぼした涙の理由

 2017年、おおたわさんは父親から引き継いだ診療所の閉院を決めた

「一緒にやっていたドクターの健康問題や、いろんな事情が重なりました。悩みましたが、14年続けてきたので、『もう十分』と、父も言ってくれるような気がして

 閉院後の身の振り方は考えていなかった。ひとつ決めていたのは、幅広い知識で内科診療を行う、総合内科専門医の資格試験を受けること。

「簡単な試験ではないけれど、落ちるようなら、潔く医者をやめるつもりでした。患者さんの役に立てない医者なら、いらないですからね」

 退路を断ち、閉院準備を1年がかりで進めながら、猛勉強の末、合格。

 折しも、このタイミングで刑務所の矯正医療を知り、迷うことなく手を挙げた。

今まで、なぜ医者になったか、明確に答えられませんでした。父が医者だからなんとなくという感じで。でも、矯正医療を知ったとき、私はこの仕事をするために医者になったと、ようやく答えが出せたように思います」

 母親の依存症を公表してからは、『患者の家族』として、人前で話す機会も増えた。

 依存症治療の第一人者、埼玉県立精神医療センター副病院長・成瀬暢也医師(60)も、話を聞いたひとり。

「僕らが主催する、依存症家族のシンポジウムにお呼びしたときも、謝礼もろくに払えないのに快く引き受けていただきました。知名度があり、依存症患者の家族としての経験を持つおおたわさんの話は説得力がある。依存症について正しい理解を広げるためにも、彼女の存在は心強いですね」

 依存症患者に対する、偏見や誤解は今も根強い。社会は白い目を向け、患者はますます孤立してしまうという。

 成瀬先生が続ける。

薬物やアルコールなどをやめられない人は、意志が弱い、だらしないと思われがちですが、それは違います。依存症は意志の力でやめられない“病気”です。最初は好奇心で使い始めても、楽しい、気持ちいいからと使い続ける人は実はわずか多くの人は、苦しさを紛らわすために、やむなく使い続けているのです

 死ぬほどやめたいのに、死ぬほどやりたい。なぜ人は、依存症という深い穴に落ちてしまうのか。

 おおたわさんは母親が亡くなったあと、母方の親戚から、「幼少期に母が、自分の母親に捨てられ、酒癖の悪いDVの父親と暮らしていた」と聞いて、腑(ふ)に落ちたという。

 成瀬先生が話す。

依存症患者の多くに共通しているのは、人間不信です。虐待、いじめ、性被害などの傷を負った人が多く、人に安心して頼れず、人に癒されることができない。その生きづらさを、薬物やアルコールなどで、ドーピングしながら何とか生き延びているわけです。

 回復するためには、無理やり依存性物質を奪い取るのではなく、家族や周りがサポートしながら、依存性物質に頼らなくてもいい状態に持っていくことだと考えています」

 おおたわさんは、母親とのある場面が、今も忘れられないという。

薬物の副作用で病院に運び込まれた母に、あきれながらも言ったんです。『家族だから、見捨てることはできないんだよ。親を捨てたりはしないよ』と。

 このとき、母の目から涙がひと筋流れたんです強情な母が見せた涙は、後にも先にもこの1度きりでした私は母の涙の意味に気づけなかった必要なのは、正論をふりかざすことより、温かい手を差し出すことだと