母親を捨てるという覚悟

母の好きなところですか? 手、かなあ家事をしないから所帯じみていないというか幼心にマニキュアを塗った母のきれいな手が好きでしたね

 そう話すと、ふっと『娘』の顔になる。母親の前では、最後まで見せなかった顔だ。

 防波堤役の父親が亡くなり、母親との関係は、一触即発のごとく悪化していた

家の中は、テレビショッピングで買った段ボールで埋め尽くされ、親戚には父の遺産を私が独り占めしたなんてデマを言いふらす仕事中も何度も電話をかけてきて、気に入らないとガチャンと切っちゃうめちゃくちゃでした

 娘として、父親の診療所を引き継ぎ、懸命に守ろうとしていた。だからこそ、気持ちをかき乱す母親の言動が許せなかった。

死んでほしいと思ったことは何度もあったけど、初めて、殺してしまうかもって思った瞬間があってそのとき、心を決めました世間から冷たい娘と言われようが、もう母親とのかかわりを捨てるしかないって

「父親が死ぬのが怖くて。支えの柱がなくなったら、母と2人だけではここまで生きられなかったと思う。でも隣には夫がいた。だから、父親の葬儀の席で義母に『昌彦さんを生んでくれてありがとう』って伝えました」 撮影/齋藤周造
「父親が死ぬのが怖くて。支えの柱がなくなったら、母と2人だけではここまで生きられなかったと思う。でも隣には夫がいた。だから、父親の葬儀の席で義母に『昌彦さんを生んでくれてありがとう』って伝えました」 撮影/齋藤周造
【写真】結婚式当日、父親に寄り添うドレス姿のおおたわさんと、少し離れた距離に立つ母親

 当時の様子を知る、20年来の友人、高木麻也子さん(43)が話す。

彼女、お母様のことは割り切っていて、ほとんど話題にしませんでしたでもそれは、お母様に何かあれば、ひとり娘として自分が助ける、という前提での割り切りだと私には思えました本来の彼女は、姉御肌で、すごく面倒見がいい人ですから

 高木さんが、40歳にして看護師を目指したときも、最強の応援団になったと話す。

看護学校の受験を前に、試験対策の問題をこれでもかというほど送ってくれ、合格発表のときは、結果が怖くて見られない私に、受かってるよ! 早く見な!と、大喜びで連絡をくれて本当のお姉ちゃんみたいにお母様とも、そんなふうに家族になりたかったんじゃないかな

 思いはかなわなかった。

 父親の死から10年の歳月が流れたころ、くしくも父親と同じ76歳という年齢で、母親は亡くなった心臓発作による急死だった

 第一発見者は、おおたわさんだった。すでに息絶えている母親に、懸命に心臓マッサージを続けた。

なんででしょうね、あんなに死んでほしかったのに──。今思うと、釈然としなかったのかもしれないな私たち母娘の問題は、何ひとつ解決していない。ここで終わらせたくなかったんですね