「幸せ家族」を信じて欲求に封をした子

 母が巧みに支配したのはリュウさんだけだ。3人の子を全員、支配するのは無理だと思ったのか、感受性の強いリュウさんだけがターゲットになったのかは今となってはわからない。

「小学校の入学式当日、教室に入ると机にひらがなの名前の紙が貼ってあるんですが、僕の名前が間違っていたんです。同姓がいなかったから、そこに座ればいいのに座れない、しかも名前が間違っていることさえ言えない。間違っているのは自分のせいだとさえ思った。母が先生に言ってくれ、その場で薄い紙に書き直したものを上から貼ってくれましたが、自分はやはり軽く扱われる人間なんだと、ひどく傷つきました」

 幼くして、彼は何かあると「すべて自分のせいだ」と思うようになっていた。母にいつも否定されていたから、名前を間違われたときも「やっぱり」と感じたという。そのうえ彼は「人にどう思われるか」を常に推察し、自分の欲求には完全に封をした。自分がしゃべったり反応したりすると、「幸せ家族」が台無しになると思わされていたから、寡黙(かもく)になっていく。

「そういうことを言語化できるようになったのは、ここ10年くらいです。自分がどうしてこんなに生きづらいのかわからなかった。子どものころから、何かがおかしいと思いながら、“幸せ家族”を僕自身も頭から信じ込んでいたんです」

 友人と対等な関係は築けなかったので、誕生日に家に呼ぶ友人もいなかった。

 このリュウさんの思いは、私も共感するところがある。私も理由なく不機嫌になって数か月も口をきかなくなる父に、甘えるフリをして家庭内の雰囲気を和らげるのが役目だと思っていたから。長じるにつれ、その役割は放棄したが、あのまま「いい子」で居続けたら、私自身が壊れていただろう。

 だがリュウさんはずっと「母にとっていい子のお兄ちゃん」を演じ続けた。それが彼の優しさなのだと自分を顧みてしみじみ思う。

 だが、彼も実は自分が母親を信用していないと思ったことがある。小学校高学年のとき、家のすぐ前で友人が転んで大ケガをした。

「ひざの皮が大きく裂けて血が噴き出して。思わず僕は隣の家のお母さんを呼んでと叫びました。家には母親がいるのに、この状況にとても対処できないと判断した。僕は母を“安心できる人”だと思っていなかった。後年、子どもが母親に頼れなかったのは悲惨なことだと主治医に言われました」