「何かをしなくては」と追いつめられる

 リュウさんは「僕の人生がスタートすると母が約束してくれた自由な4年間」を求めて大学受験に取り組んだが、ことごとく不合格。3年間、浪人した。

「母は海外青年協力隊とか留学とか矢継ぎ早に並べるんですが、僕にはハードルが高すぎる。専門学校という妥協案を出し、兵庫県の写真学校に通いました」

 首都圏にある自宅から関西へ。やっと家から離れられたとホッとしたものの、クラスメートとの付き合いに心をすり減らして退学。人の気持ちを先読みして過剰反応する毎日は、緊張の連続だった。

 その後、彼は別の専門学校や、とある山奥での集団生活などを経て、ついに身動きできないほど疲弊して実家に戻る。「何かをしなくては」と追いつめられ、何か始めても続かず、さらに追いつめられることの繰り返しだった。

本すら読めないひきこもりもいる

 そして、ついに25歳から自室にひきこもって昼夜逆転の生活を送るようになった。

「たまに母と顔を合わせると、“働きもしないのに食べるのは一人前ね”とイヤミを言われ、びくびくしながら生活していました。父にはきちんと謝らなくてはと思い、ある日ようやく話しかけたんです。“出ていけ”と言われるのを覚悟して。でも父はただひと言、“朝だけはちゃんと起きてこいよ”と。

 翌朝から、新聞を読む父の横で僕はお茶を飲むようになりました。たった5分、ほとんど話もしないけど、僕にとっては重要な時間でした」

 それから3年間、彼は自宅でひきこもっていた。出かけるのは家から9キロ離れた図書館だけ。とはいえ心が千々に乱れて、「読みたいのに本が読めない」状態だった。

 彼は子どものころから、文字は読めても内容が入ってこなかったという。集中力以前の問題として、母からの圧迫でずっと心が落ち着かない状態だったのではないだろうか。

「知性があってきちんと自己主張できるひきこもりの方が目立ちますが、僕のように主体性も人格の基盤も奪われた人間は本を読むことすらできないんです。ほかにもきっとこういうひきこもりがいると思います」

 ある日、自室に父が新聞記事を差し込んでくれた。社会的にひきこもった人の記事だった。このままではいけないと自分でも思っていたので、彼は記事に掲載されていた支援施設に電話をかけた。そこから精神科クリニックにつながり、29歳のとき、生活保護を受けながら都内でひとり暮らしを始めた。親と離れたほうがいいという主治医のすすめがあったからだ。