万引きで初めて欲望を全開に……

 家から出ることが大事だと言われ、クリニックには毎日出かけた。そこで知り合ったのが、同世代の女性だ。あるとき彼女の具合が悪くなり、送って行って「居着いて」しまったのだという。

 だが、この関係も決して対等ではなく、彼は彼女に精神的に引っ張られていく。

「彼女の好きな洋服の店に一緒に行ったんですが、結局、何も買わない。店を出てから彼女のバッグをふと見ると洋服が入っているんです。ドキドキしました」

 彼女は万引きをしていた。その後、彼は彼女をサポートするようになる。自分が壁になったりタイミングを合図したり。そのうち、「自分ならもっとうまくできるかも」と思うようになった。

「なぜか心が動いてふっと盗ってしまったんです。最初はドッグフードか、鰻(うなぎ)だったか。その場で欲しいと思ったものを手にとった。そして外に出たとき、今まで感じたことのない達成感と解放感を覚えたんです」

 私は思わず「よかったですね」と言ってしまった。自分の欲望を外に出したことのない彼が、生まれて初めて欲望を全開にして得た達成感だと思ったから。もちろん犯罪だからいいわけはないのだが、彼の精神には必要な行為だったのかもしれないと思ったのだ。

 月に1度だった万引きがエスカレートしていった。スーパー、量販店、専門店。場所も時間も問わなかった。

「どこかでやめなくてはいけないとわかっていました。だからこれが最後と決めて、アウトレットモールへ彼女と行ったんです。車を荷物でいっぱいにしたら帰るつもりでした。何軒目かの店から出たとき警備員が立っていました。振り向くとパトカーが並んでいて」

家族思いを演じる母にうんざり

 彼は逮捕され、4か月間も勾留された。一緒に捕まった彼女に後で怒られるのが怖くて黙秘したため、勾留期間が延びたのだ。

「母が面会に来ました。会うなり、“あのね、ここにくるときに道端にきれいな花が一輪、咲いていたの。それを見て思ったの。一からやり直そう、ねっ!”って。こちらが絶句するほどはしゃいでいて、自分がいかに家族思いの母親かをドラマのように演じてみせた。僕にではなく隣の警察官に聞かせているのは明らか。20分の面会を5分で打ち切りました。母はこの期に及んでも現実を把握していないとよくわかった」