同年暮れに行われた、PTA役員と学校管理職の定例会では、事件に関するマスコミ報道や、マスコミに事実を伝えた大貫さんらに対するバッシングが続いたそう。定例会に出席した母親は、それからしばらくうつ状態に陥ったということです。

 大貫さんは、こう振り返ります。

「それまでも複数の新聞社に取り上げられていましたが、このころテレビのニュースで大きく報じられたので、『学校の名誉を貶める』ということで立腹された方々がいたんです。そういう報道があると、他の地域の方から『あの学校のお子さんでしょ』と言われたり、進学に影響したりするんじゃないかということで、よろしくないと思ったのでしょう」

 なるほど、その気持ちも理解はできます。出身校は本人に生涯ついてまわるので、アイデンティティの一部のように感じる人もいます。保護者らは、わが子のそれに悪評がつくことを避けたかったのでしょうか。

 とはいえ、現実に命を落とした子どもがいるのです。もしそれが自分の子どもだったら、どう感じるのか? 真実を明らかにしたいと思うのは当然のことですし、学校が対応してくれないのであれば、訴訟を起こすかマスコミに報じてもらうくらいしか対抗手段はありません。しかし、この保護者らはそういった想像をできなかったのでしょうか。自分の子どものことだけを考えるなら、学校をかばったほうが間違いなく有利です。

 大貫さんによると「PTAがこれほど露骨に学校に加担するケースはそう多くない」とのこと。ただし、PTA会長が弔問に訪れた際に「訴訟の意思の有無」をそれとなく確認して学校(校長)に報告する、といった話はときどき聞くといいます。校長から頼まれればPTA会長は断りづらいでしょうが、こんなことがあれば、遺族がPTAを警戒するようになるのは当然です。

「常に学校が正しい」という幻想

 取材の少し後、大貫さんは一冊の本を紹介してくれました。ノンフィクション作家の藤井誠二さんが書いた『暴力の学校 倒錯の街』(1998年、雲母書房)です。

 今から25年ほど前にある私立高校で、先生の体罰によって女子生徒が殺された事件を追った書籍です。それ自体も酷い事件なのですが、悲しいことに殺害された生徒はその後、悪質なデマで中傷されて「二度殺される」目に遭っています。

 著者の追究で、デマは殺人犯の教員をかばう嘆願署名とともに広がったことがわかります。署名の発起人は犯人の同僚の教員と、犯人が顧問をしていた部活動のOG代表。卒業生や保護者らは、根も葉もない被害者中傷を添えて、この署名を集めてまわったのでした。

 当時の人々には「常に教師学校が正しい」という幻想があり、そこにデマが入り込んで浸透したのではないか――。著者はそんなふうに分析しています。「殺したのが生徒で、殺されたのが先生だったら、嘆願署名運動は絶対に起きないと思う」とも。

 その後、全国の学校で対策が進み、今はもう体罰はだいぶなくなってきました。しかし、我々保護者や地域住民の意識はどうでしょうか。変わることはできたのでしょうか。同じようなことが起きないと言いきれるのか。

 筆者は断言できないように思います。地域によっては、学校やPTAはまだまだ「触れてはいけない絶対的な秩序」とみなされており、そこに触れた保護者が周囲の制裁を受けることは、今もそう珍しいことではありません。

 私たちはまだ「学校」というものを、それほど客観視できていないのではないでしょうか。

大塚玲子(おおつか・れいこ)
「いろんな家族の形」や「PTA」などの保護者組織を多く取材・執筆。出版社、編集プロダクションを経て、現在はノンフィクションライターとして活動。そのほか、講演、TV・ラジオ等メディア出演も。多様な家族の形を見つめる著書『ルポ 定形外家族 わたしの家は「ふつう」じゃない』(SB新書)、『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』(ともに太郎次郎社エディタス)など多数出版。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。