“おまえは自分の人生から逃げている”

 その間にも'12年ロンドン五輪銀メダル、'15年女子W杯・カナダ大会準優勝など、なでしこでの活動もあった。長い別居生活で夫との時間はほとんど持てなかったが、「好きなサッカーを突き詰めたい」という気持ちは何よりも勝っていた。

ロンドン五輪で銀メダルを首から下げて凱旋帰国
ロンドン五輪で銀メダルを首から下げて凱旋帰国
【写真】バンド活動をはじめ、ドラムを叩き歌う永里優季選手

「彼とはそれなりに楽しいこともたくさんありましたし、いろんなことも学べた。知らない人と会う機会も多くて、人見知りの部分も免疫がつきましたね。でも正直、結婚という感じでもなかったのかな……。生活をともにしなかったし、ただの遠距離恋愛みたいなものだったのかもしれません。それでも、離れているストレスは特に感じなかった。やりたいサッカーがあれば、それ以外のことは特に気にならなかったから。家庭とサッカーの間で揺れ動くこともなかったですね」

 淡々とこう語る永里は'16年4月に離婚。登録名を永里に戻し、なでしこジャパンから距離をおくという決断もした。長年、苦楽をともにしてきた澤や宮間の引退、チームの若返りといった環境の変化に加え、「自分が追い求めるFW像」と「他人に求められるFW像」の乖離も年々大きくなっていった。「これでは大好きなサッカーを楽しめない」と感じたのは、まぎれもない事実だろう。

 '15年まで一緒に戦った佐々木監督は「優季は'11年時点の課題だった攻守の切り替えがロンドン五輪のときにはしっかりと改善されていたし、パーソナルコーチの中西哲生さんとトレーニングにも取り組んだ。アスリートとして常人をはるかに超えた領域を目指したからこそ、代表138試合出場、58得点という目覚ましい実績を残せたんだと思います」と、最大級の賛辞を送っている。だが、それでも永里は代表続行を選ばなかった。「戦場に行くような壮絶な重圧から自分を解き放ちたい」というのが本音に違いない。

「'16年夏に高倉(麻子)さんに監督が代わってから“クラブでのプレーに専念させてください”と自分からお願いしました。あのときの私はすごくモヤモヤしたものがあって中途半端だった。自分がどういう生き方をしたいのか、何のためにサッカーをやっているのかをしっかり考え直したかったんです」

 永里の決断の背景には、生き方のヒントを与えてくれるいくつかの出会いがあった。そのひとりが、26歳でフランス・ミシュランガイド1つ星を獲得したシェフの松嶋啓介さん。同じ海外というフィールドで勝負してきた10歳上の人物から厳しい指摘を受けた。

「“おまえは自分の人生から逃げている”“目を背けている”という言葉を投げかけられました。痛いところを突かれたし、グサッときましたね。でも、似たような人生を送ってきた人の発言だからこそ共感を持てたし、深く考えられました。周囲の評価に関係なく、自分らしく永里優季というFW像を築いていければそれでいい。シンプルにそう思えたのは大きかったです」

 そう話すと、彼女は柔らかな笑みを浮かべた。