「勝てば官軍、負ければ賊軍」FWの宿命

 ドイツ戦は丸山が延長後半に値千金の決勝弾を決め、日本は準決勝に駒を進めた。そのスウェーデン戦は3─1で勝ったが、永里は控え。ファイナルのアメリカ戦も後半途中出場となった。日本中を熱狂させたこの歴史的大熱戦は、延長終了間際に澤がミラクル同点弾を挙げ、PK戦に突入。最終的に日本が史上初の世界一に輝いた。が、歓喜の輪の中で23歳の若きFWは一抹の寂しさを感じていたのではないか。

面白いチャレンジをしたい気持ちが原動力。「義務感でやっているものはひとつもない」と話す
【写真】バンド活動をはじめ、ドラムを叩き歌う永里優季選手

「自分の中ではやれることをやり尽くしたと思っています。一方で、FWとしての考え方を変えるきっかけにはなりました。世間はFWに対して得点という結果を求めるのに、(チームプレーより得点を狙うことを優先する)エゴイストは非難される。ホントに“どっちやねん”と言いたかった。葛藤の中で、自分はもっとチームメートを生かすプレーをしていこうと気持ちが固まったんです」

 彼女は苦渋の表情を浮かべたが、これはFWを主戦場とする者なら、誰もがぶち当たる壁かもしれない。

「ストライカー=点取り屋」と世間一般ではとらえているが、佐々木監督が求めたように最前線から敵を追ったり、プレスをかけたりと守備の仕事も担っている。ボールを奪ったら即座にゴールに向かうハードワークも不可欠だ。攻めているときは自分が点を取るだけでなく、味方のためにスペースを作ったり、ラストパスを送ったりと多彩な役割をこなさなければいけない。しかし、そうやってチーム第1に考え、献身的に働いていても、数字がついてこなければ「ダメなFW」と酷評される……。非常に皮肉な宿命を背負っているのだ。

 古い話だが、1997年に行われた'98年フランスW杯のアジア最終予選で、ケガを抱え満身創痍の状態で戦い、ゴールを取れなかったカズ(三浦知良=横浜FC)は狂信的サポーターからイスを投げつけられた。その本大会で、エースに指名されながら結果を出せなかった城彰二は帰国時に成田空港で水をかけられた。「勝てば官軍、負ければ賊軍」となるのがFWの宿命。その苦しさを永里は嫌というほど味わったに違いない。

 それでも彼女は逃げなかった。パートナーという心強い味方を得たことも大きかっただろう。24歳になったばかりの2011年7月、永里はメンタルトレーニングのコンサルティング会社経営の大儀見浩介氏と結婚。登録名を「大儀見優季」に変え、海外挑戦を続けた。

 '13年にはイギリス・ロンドンに本拠を置くチェルシーへ移籍。'15年1月に再びドイツに戻ってフォルクスワーゲンの本社所在地として知られるヴォルフスブルクへ。さらに同年夏にはフランクフルトへ赴いたのだ。