サッカーが人生のすべてではない理由

 そこからの永里はやりたいこと、興味のあることを貪欲に突き詰めるようになった。1つ目は自身の会社『ライデンシャフト』の設立だ。

 本田圭佑のサッカースクール経営やアメフト・前田眞郷(オービックシーガルズ)のコミュニティーサービス事業など、近年はアスリートの起業は珍しくなくなった。だが、女子サッカー選手で具体的に動き出したのは彼女が初めてだろう。

「自分からアクションを起こしやすいハブがあったらいいなと思って設立しました。メンバーは、まだきょうだいだけ。事業も兄のボール遊び教室くらいなんですけど、いずれは雇用を生み出せるようにしたいです」

 こう語る永里だが、すでに松嶋氏やなでしこの先輩・川澄奈穂美とのオンラインイベントのほか、Zoomを利用して1時間、永里と自由に話すことのできる「対話」も展開している。

 兄・源気は「社長の優季が“日本と外国との懸け橋になりたい”と考えているので、そういう存在になれればいい。僕もできるだけ力になれるように頑張ります」と目を輝かせる。第2子妊娠中の妹・亜紗乃も含め、いずれは「世のため人のためになる活動」をしていきたいというのが3きょうだいの願いだ。

「もともと、わが家では家族にいろんなことを相談しません。結婚や離婚のことも事後報告でした」

 と、あっけらかんとしている永里ではあるが、きょうだいとの絆は強い。合計5人いる甥っこや姪っこたちには「ベストフレンド」と言うほどの愛情を注ぎ、一緒にダンスをしたり、公園で遊んだりしている。「いつか再婚したいし、子どもが欲しいな」と考えながらも、今は公私ともに支えてくれる家族の存在を力にして、前に進んでいる。

 やりたくて叶えたことは、ほかにもある。アメリカでの新生活だ。足かけ7年過ごした欧州を離れ、'17年5月にアメリカ女子プロリーグ(NWSL)の『シカゴ・レッドスターズ』へ移籍した。これが彼女にとって海外5つ目のクラブ。身体能力の高い大型選手との激しいバトルにつれて、FWとしての引き出しも増え、プレーヤーとしての意欲もレベルも確実に高まった。

 グローバル化が進むアメリカでは、人種や国籍に関係なく多種多様な人々が入り交じっている。スポーツ界も“人種のるつぼ”と言っていい状況だ。多彩な人々と接することで、永里は確実にオープンマインドになっていった。

 さらに言うと、前出のラピノーのように同性婚を選び、カミングアウトする人も身近にいた。1人1人が自由に生きる姿を目の当たりにして、固定観念に縛られていた自分自身が大きく変化するきっかけを得たのは、確かだろう。

 本人もしみじみこう語る。

「アメリカに行って、サッカーがすべてではなく“生活の一部”と考えられるようになった。それは大きかったですね。いろんなことに興味を持てましたし、精神的にすごく楽になれた。自分の内面にあるものを大切に生きていくことが、いちばんの幸せなんだと心底、思った。その重要性に気づいたんです」

 30代になって大きく心境が変化した永里。異国の地ではバンド活動も始めた。もともとピアノは、小・中学校時代は人前で演奏できるくらいの腕前だったが、ドラムを本格的に習い始め、ライブハウスに観客を入れてコンサートを開催するくらい熱を注いだ。

アメリカではバンド活動も。'19年から始めたドラムを担当している
アメリカではバンド活動も。'19年から始めたドラムを担当している
【写真】バンド活動をはじめ、ドラムを叩き歌う永里優季選手

「優季はアーティストになりたいって言ってます」と兄・源気は笑うが、一方で「なでしこをやっていたころみたいに肩に力が入った状態じゃなくなった。人間味も出たと思うし、兄としてホッとしました」と、安堵感も吐露する。

永里はなでしこジャパンという重い責任の伴う場所から距離をおいたことで、「自然体の自分」を取り戻した。それは彼女にとっては日本のエースに君臨することよりも意味あることだったと言っていい。