1月20日、森進一と森昌子さんの三男・森内寛樹がソロデビューを果たした。

「デビューアルバム『Sing;est(シンゲスト)』をリリース。宇多田ヒカルさんの『Autоmatic』やMISIAの『アイノカタチ』などを原曲キーで歌うハイトーンボイスは、業界内でも“美声すぎる”と話題になっていますよ」(スポーツ紙記者)

 森昌子さんは'86年に進一と結婚したが、'05年に離婚。それ以来、3人の子どもを育ててきた。成長した息子たちは、母親と同じ道を歩んでいく─。

「長男はロックバンド『ONE OK ROCK』のボーカルのTakaさん、今回デビューした寛樹さんも、'11年にロックバンド『MY FIRST STORY』を結成して歌手活動をしていました」(同・スポーツ紙記者)

“最強の遺伝子”と称される森内だが、そのことを鼻にかけることはなかった。

「誰に対しても礼儀正しく、気配りを欠かしません。カラオケでは自分の曲やお兄さんのTakaさんの曲をよく歌っていますね。すごくうまかったのを覚えています」(森内の知人)

ヤンチャ息子として評判だった

 彼が立派に成長したのは、森昌子さんの子育ての影響が大きい。

兄弟同士でも年長者には敬語を使わせたり、箸がうまく使えないときは、手に赤い痕が残るほど、強く叩くなど、“スパルタ教育”をしていました。'17年には、子育てに関する著書『母親力 息子を「メシが食える男」に育てる』を出版し、話題になりましたね」(芸能プロ関係者)

 ときに厳しくも、母親の愛情を一身に受けて成長した森内だが、幼少期にはこんな挫折を経験していて……。

水泳や体操などの習い事をしながら、小学校受験をしたんです。上のお兄さん2人は都内の有名私立小学校に進学したのですが、寛樹さんだけ落ちてしまい、公立の小学校に通うことに。同じように努力していたのに、自分だけ結果を出せなかったことで、当時はかなりコンプレックスを抱いていたそうです」(同・芸能プロ関係者)

 劣等感に苛まれていたのか、小学生のころの森内は“ヤンチャ息子”として有名だった。

「授業中に教室を歩き回ったり、ほかの子どもにちょっかいを出したり、終始、落ち着きがなかった印象です。じっと座っているのが苦手だったんでしょう。だから最近、テレビで落ち着いて話す彼を見て驚きましたね」(森内が通っていた小学校の同級生)

 当時は周りの人に迷惑をかけてしまうことが多かったため、母である森昌子さんが叱ることも多かった。

叱るといっても怒鳴ったりはせず、“なんでお母さんが怒っているかわかる?”と、怒られた理由を考えさせるようにしていましたね。一方で、先生やほかの保護者には“息子がご迷惑をかけてすいません”と謝っていたそうです」(同・小学校の同級生)

 ただ、現在の歌唱力の高さを彷彿とさせるエピソードも。

勉強は苦手だったのですが音楽の成績は抜群でしたね。1人だけ実力が違うんです。保護者の間でも“やっぱり両親の血を引いてるね”と評判だったみたい」(同・小学校の同級生)

 森さんの後を追って走る森内に“バラ色の未来”が待っている!