余裕のない生活が理性を奪う

 コロナ禍で密室化する家庭でDVや虐待が増える危険性については、世界中の女性支援団体らが警鐘を鳴らしている。

 当団体に寄せられる相談もコロナ期から虐待に関する相談が増えた。

「あんなに可愛がっていた子を虐待だなんて……。とても信じられませんでした」

 幸子さん(仮名・70代)の長男・達也(仮名・40代)は5年前に小学生の子どもがいる女性と結婚し、昨年、ふたりの間に子どもが生まれていた。親子4人で暮らすアパートに、近所から怒鳴り声と子どもの泣き声がうるさいと通報され、警察が来たのだという。

 達也は詐欺事件で逮捕され、服役した過去がある。達也の父親は銀行員で幸子さんは専業主婦だった。何不自由ない環境で育った達也だったが、大学卒業後、就職が上手くいかず非正規社員の道を余儀なくされる。当時交際していた女性に結婚を申し込むが了解を得られず、海外旅行に連れて行ったり高価なプレゼントを送って繋ぎとめようとした。そこで借金がかさみ、詐欺に手を染めてしまった。一流企業に採用された弟はすでに結婚して家庭を築いており、焦燥感を募らせていた時期だった。

 出所後、アルバイト先で知り合ったシングルマザーと交際を始め、しばらく安定した生活が続いていた。彼女の息子とも仲がよく、実の息子のように可愛がっていた。ところが彼女が妊娠し、子どもが産まれたころから達也の表情に余裕がなくなってきたという。

「孫ができたことは嬉しかったですが、生活が成り立つのかという不安は拭えませんでした。結婚してからのほうが、親としての心配事が増えました」

 出所後の達也の生活を支えていたのは両親だった。貧困ゆえにまた事件を起こされては困ると思い、家賃と生活費の一部を援助していた。それでも収入は達也のアルバイト代だけで、家族4人の生活に余裕はなかった。

 達也は、待遇のいい飲食店に転職するはずだったがコロナの影響で白紙に戻ってしまった。妻は出産後体調が悪く、達也は子どもの面倒を見ながらアルバイトを掛け持ちし、再就職先を探した。コロナ禍でもあり条件に見合う転職はできず、仕事のことで妻と喧嘩することが増え、また借金を作り始めていた。

「達也は弟の面倒をよく見てくれる優しい子だったので、まさか子どもを虐待するなんて考えられませんでした」

 妻によると、達也は妻のいないところで小学生の息子に食事を与えなかったり、ベランダに立たせたりという虐待をしていたという。

 達也は、息子を虐待した理由について「家族のために遅くまで働いて疲れて帰ってきているのに、家の手伝いもしない息子が許せない」と虐待ではなく躾(しつけ)だと主張していた。達也は、妻から離婚を要求され、その後、両親らの説得により離婚に応じた。最近になり、「自分に家族は無理だった」と問題に気付き始めているという。

親世代との経済格差が生む加害

 筆者は、近年の虐待事件では、虐待の世代間連鎖ではなく、むしろ育った環境とのギャップが加害を生んでいるケースが増えていると感じる。就職氷河期世代で非正規雇用で働く人々は、親の年収ほど稼ぐことができない人も多いはずだ。家庭を持つこと諦める人がいる一方で、家庭を持ったとしても、自分が与えられてきたような家庭環境を家族に与えることができない。

 こうした経済状況に加え、男尊女卑思想が根強かった時代である。稼いで妻子を養うことが男の義務だと考えてきた男性にとっては、安定した収入が得られない状況に劣等感や屈辱感を感じる人も少なくないであろう。失業したり収入が減ることで、家庭での男性の優位性が損なわれたと感じた時に暴力が用いられている。家庭を伝統的な家族のスタイルに強制しようとする過程でDVや虐待が行われるのだ。

 加害者が囚われている価値観から解放され、傷が癒されない限り加害は繰り返され、さらに弱い立場の人々が犠牲になる。子どもの保護を第一として、経済格差の是正や労働環境の改善が事件を減らしていくことに繋がる。

 野田市小4虐待死事件では、児童相談所や野田市など行政機関の不手際が続き、救えたはずの心愛さんの命が失われている。二度と同じ悲劇を生まないために、社会がすべきことは何か、引き続き検証を続けていきたい。

阿部恭子(あべ・きょうこ)
NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)など。