有名企業の会社員から芸能界へ

 当時は、「青田買い」という言葉があるくらい就職には有利な時代である。誰もが知っている有名企業に就職し、イベントプロモーション、ショールームを運営する会社の広報部に配属された。

「年功序列もなくて、新入社員でもすぐ企画が出せました。ワクワクするような毎日でしたね。職場の雰囲気も労働条件もよかった。お茶くみとかコピー取りといった雑用は一切なし。それでも、女性の昇格には高い壁があった。後輩の男性社員に追い越され、納得できないこともありました」

 東は、満たされた日々を送るために「仕事以外」のことに熱中した。休日のアルバイト、ウインドサーフィン、テニス、スキー、ディスコ、食べ歩き、旅行、デート……。忙しく時間を使うことで「生きている」という実感を得ようとした。

「会社の有休を週末にフルに使って、黒姫高原のペンションに居候してアクティブに活動してましたね。インストラクターの資格を取るくらい熱中してました」

短大に通っていた学生時代
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 このころ、東には学生時代から交際していた恋人がいたが、大失恋を経験する。

「原因は私の強い依存心。ムードだけの口約束だけでは不安だった私は、結婚への約束、保証が欲しかった。それが彼のプレッシャーになったんですね」

 当時は、結婚や出産を機に退職する「寿退社」が華だった。結婚が決まらない人はやがて「お局」と呼ばれるようになっていく。

「寿退社」という選択肢を失った東は、進むべき道に迷い始めていた。

「私は組織には合わないんじゃないか、と思うようになっていました。とはいえ安定からこぼれ落ちるのも怖い。

 一方で、もっと自分を表現できる仕事がしたい、という思いも強くなっていたんです」   

 そんなある日、十二指腸潰瘍を発症。医者には「仕事を辞めればきっと治りますよ」とあっさり言われてしまう。

 時代はバブル期。一流ブランドの会社を捨ててもどうにかなる気もしていた。

「スキーのインストラクターにでもなればいいぐらいに思って、会社を退社しました」

 会社を辞めた東に声をかけたのは、芸能事務所に勤める友人だった。「遊びにこない?」と誘われたのは芸能プロダクションのオーディション。軽い気持ちで会場へ向かった。それが人生を大きく変えることになるとも知らずに……。

 ド派手なファッションだった東は司会者の目に留まり、ステージに上げられた。何しろ、髪はソバージュ、ピンクのヘアバンド、白い革ジャンにピンクのTシャツ、白いパンツにハイヒール……。

「いつクラブやディスコ、パーティーに誘われても大丈夫なように、普段からそんなスタイルだったんですよ(笑)」

 実は、友人が東をオーディションに出演させるよう仕組んでいたのだという。

「そのオーディションは、新人の最終選考でした。テレビ局のプロデューサーやディレクター、制作会社の人たちが審査員だったんですね」

 東は、ステージでテレビに対する自分の意見を語った。そして男性司会者と腕相撲をして勝ってみせた。さらに、ガタイのいい司会者に向かって、「ここさぁ、あなたの仕事としては面白く見せるところでしょ?」とツッコミ、会場を沸かせたのだった。

「私は何の欲もないから、すごいリラックスしてたんです。みんなめっちゃ緊張してやってるのに、私は普通に笑いを取りにいったんですね」

 その場でグランプリを受賞。審査員の数人が、「この子をすぐ使いたい」と次々手を挙げた。

 初仕事はテレビの情報番組のレポーターだった。

「会社で広報担当をやっていて、イベントなどでレポーターに指示を出す立場でしたから、何をすべきか現場のノウハウはすべてわかっていたんですね。なんて要領のいい子だと思われました(笑)」

大企業で広報を務めていた当時

 当時は、芸能界の仕事は単なるアルバイトのつもりだったが、だんだんテレビの仕事が増え、東は現場をこなしながら実力を磨いていった。

 帯番組の司会を務めるようになると、料理番組『金子信雄の楽しい夕食』(朝日放送)の出演を射止め、全国ネットにデビュー。2年後には『THE WEEK』(フジテレビ系)の司会に抜擢(ばってき)されて上京する。時事問題を扱うバラエティー番組やドラマにも出演するようになり、大阪6本、東京で5本のレギュラー番組を持つ超売れっ子になった。「お嫁さんにしたい女優ナンバーワン」にも選ばれている。