東の夫、堀川恭資さん(58)は、妻の異変を感じ取っていた。

「具体的に言葉には出さないけど、長く一緒にいるので、僕には彼女が普段と違って見えて、不安な気持ちでいるのがわかりました」

 それでも、悩んだのはたったのひと晩。スキルス性ではなく、初期の胃がんと判明した後は、すっかり普段のペースを取り戻していた。

 東には、がん告知に動じずにいられた理由がある。30年以上にわたり『骨髄バンク』の活動に携わり、数々の死を目にしてきたからだ。

「こういう活動をしていると、私より若い人がたくさん亡くなるんですよ。ある日突然、仲間がいなくなる。骨髄移植で成功する人もいれば、亡くなってしまう人もいる。毎日のように弔電を打って、白い花を贈っていた時期もあります。“なんでうちの子なの……”って泣くご遺族の姿もたくさん見てきました。人生は本当に思いどおりにはならない。生と死は隣り合わせだと学んだんですよ」

 ひと呼吸おいて、「今の私はたまたまラッキーだっただけですね」と微笑(ほほえ)み、その声は弾んでいた。

「私、胃がんだと聞いて、自分の身体にゴメンなさいと謝りました。私が悪い、生活を改めますと誓った。

 生っきよう♪ 一生懸命生きようって、思いましたね。自分を使い切ろう。絶対無駄にしないぞ、と」

優等生の挫折と母の言葉

 1960年、広島県因島市(現在の尾道市因島)で、造船関係の仕事をしていた父と会社員だった母の長女として生まれた。

「母親は、子育て本を読みあさって、それはもう一生懸命に私を育ててくれました」

 幼いころから、母親は毎晩本の読み聞かせをしてくれたという。

「母からは『1番にならないといけない』『優しい子でいてね』『ちゃんとしなさい』と教えられ、私もそれに頑張って応えていました」

「教師の道は、2週間の教育実習で断念しました。学校の体制を見てたら、自分にできることの限界を感じて。生徒たちはめっちゃ可愛かったけどね(笑)」と語る東 撮影/伊藤和幸
すべての写真を見る

 成績はずっとトップクラス。家の居間の壁には東の賞状がずらりと貼られていた。周囲の期待を感じ、いつの間にか何となく教師を目指すようになっていた。

 目標は、国立の広島大学の教育学部。誰もが彼女の合格を信じて疑わなかった。

 ところが──受験は失敗。そのとき、母がつぶやいた言葉が忘れられない。

「母はボソッとつぶやくように言いました。“18年間の期待を裏切ったわねぇ”って。それはとてもリアルでした。景色が霞(かす)んで、壁の賞状がボンヤリと目に入った」

 あまりに大きな衝撃だった。浪人する道もあったが、母親の言葉にショックを受けた東は、大阪の短大に滑り込む。

 小さな島から出て、大阪という大都会でひとり暮らし。それまでの自分を知る人が誰もいないという解放感を堪能し、卒業の日を迎えた。