こうして拡大していったナベプロは、いつしか“ナベプロ帝国”とまで呼ばれるように。過去にナベプロから歌手としてデビューしたことがある、日本歌手協会理事長の合田道人(ごうだ・みちと)氏は、当時のナベプロについて、

「どのテレビ番組を見ても、渡辺プロのタレントが出ていました。渡辺プロにソッポ向かれたら、番組が成立しなかった。歌手を目指す人たちにとっても渡辺プロは芸能界の憧れの存在でした」

 と振り返る。王者として君臨したナベプロだが、'73年にはこんな出来事が起こった。

森昌子山口百恵を輩出した日テレ系の超人気番組『スター誕生!』に対抗するため、ナベプロはNETという現在のテレビ朝日と一緒に新番組を企画した。しかし、新番組の時間帯には、すでに日テレ系でナベプロ制作の別番組があった。同じ時間帯の番組には、同じ事務所のタレントを出演させてはいけないという不文律があったので、日テレがナベプロに直談判すると、晋さんは“日テレが放送日を変えればいい”と。これに日テレは激怒して“全面戦争”になりました」(前出・芸能誌ライター)

 しかし、スタートした新番組は視聴率がふるわず、わずか半年で打ち切り。日テレとの対立は長年にわたり続いた。

「私がデビューした'80年ごろには日テレとの関係も回復したようで、デビュー曲から日テレの番組で歌わせていただきました」(前出・合田氏)

黄金期の終わりと創業者の死

 雪解けを迎えたのかと思いきや、ナベプロ帝国にも陰りが。'75年のザ・ピーナッツ引退を引き金に、'78年にはキャンディーズが解散。'79年には森進一が独立。さらに、がんを患い闘病していた渡辺晋社長が'87年に他界する。

「渡辺プロは時代の流れを見つめ、常に新しい潮流を作り上げてきた。それを晋さんと美佐さん夫妻が行ってきたんです」(同・合田氏)

がんを患い治療したが、再発。享年59だった渡辺プロダクション創業者の渡辺晋さん
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 ナベプロは妻の美佐が引き継ぎ、現在の会長である長女のミキも入社して会社を支えた。ひとつの時代が終わりを告げたかに思えたが、ミキは過去インタビューで《1990年代、それまでのテレビの出演者とは違う要素が求められるようになってきたなって感じまして、今でいう「バラエティタレント」ですよね》と、父親譲りの嗅覚で、時代の変化を感じ取っていた。

「'90年代には吉川晃司が売れ始め、松本明子中山秀征などが台頭してきます。歌手や芸人という枠にとらわれず、時代が求めているものをナベプロは作り出してきた」(前出・芸能プロ関係者)

 前出の合田氏も、ナベプロの柔軟さを感じたと話す。

「私が入ったときは歌以外にも、新聞を読めとか、ダンスやトークのレッスンもありました。マネージャーは“テレビ局員と飲んでこい”なんて言う。いま思えば、社会で生きていく術を教えてくれたな、と。時期がくると、次のステップへと導いてくれました」

 昨年にはブルゾンちえみ城田優がナベプロを退社。今年には川崎希アレクサンダー夫妻が独立し、ザブングル松尾陽介が引退を決めた。みな、ナベプロで学んだ能力を活かせる新天地を目指す。今年4月にオンラインスクールを開校し、新たな人材発掘を目指すナベプロ。また、新時代を築こうとしている。