寄せ集めのバンドマンだったザ・ドリフターズや、19回連続NGを出した落ちこぼれ芸人だった萩本欽一は、テレビという新しいメディアに適応した「テレビ芸」を生み出し、それによって一時代を築いた。

 ビートたけしは師匠である深見千三郎が否定した「漫才」という芸でブームの波に乗り、落語の下手な落語家だった明石家さんまは、落語をやらずにテレビのスターになった。

 彼らのような上の世代に共通するのは、「芸」というものに対する絶対的な敬意や憧れがあることだ。「自分たちはきちんとした芸をやらないまま、テレビの世界で成功してしまった」という負い目のようなものを、それぞれが多かれ少なかれ抱えているように見える。

 素人であることを売りにして成り上がったとんねるずですら、本物のプロに対して一目置くような態度を見せていた。そもそもとんねるずの芸風は、プロと素人の間の絶対的な格差を前提にして成り立つものだ。

 本来、素人はプロに勝てない。だからこそ、素人がプロを向こうに回して暴れ回るのが痛快だったのだ。

面白ければそれでいい

 だが、松本にはそのような負い目が一切感じられない。そこには「上下関係が希薄」という新人類世代の特徴もはっきり表れている。もちろん、上の立場の人に敬意を持っていないわけではないと思うのだが、伝統的にきちんとした芸とされているものを守りたいという意識はほとんど感じられない。

 そんな松本のお笑い観は『M-1グランプリ』や『キングオブコント』で審査員をしているときの審査方針にも体現されている。2017年の『M-1』でジャルジャルが「ピンポンパンゲーム」というゲームをやり合うだけの斬新な形の漫才を演じたとき、ほかの多くの審査員が低い点をつけたのに対して、松本だけが高得点をつけていた。

 松本は、ネタを評価するときに「それが伝統的な型に合っているか」ということを考慮に入れない。ただ面白いかどうかだけを見て評価する。松本は、自らが笑いの権威となってからも笑いの伝統や歴史といった既存の権威を信じていない。面白ければそれでいいという態度を貫いている。