ラクダも倒れるほどの暑さ

『電波少年』恒例のヒッチハイク旅では、多くの若者が世界の危険な地域に足を踏み入れた。

 朋友(パンヤオ)の伊藤高史がスーダンのバユダ砂漠で熱中症にかかり、白目をむいて気を失った事件は番組そのものの危機でもあった。

あの瞬間は気絶していたので記憶がないんですけど、僕が死んでたら番組は絶対終わってましたよね(笑)。あのとき、実は僕が倒れる前にラクダも倒れているんです。

 そしたら、人が寄っていくから助けるのかなと思ったら、死んでいたからバッサリ切って干し肉にして、それを僕たちも食べました。ラクダが死ぬような環境なのによく死ななかったと自分でも思います(笑)」(伊藤)

ピストルで撃たれ命の危機に……

 命を失いかけたのは伊藤だけではない。同じくヒッチハイク旅に挑戦したドロンズ石本がミネソタ州での危険な経験を語ってくれた。

「町はずれでヒッチハイクしていたら、2人組の男が『アジアへ帰れ!』みたいなことを言いながら近づいてきて、よく見たら右手にピストルを持ってるんです。すぐに崖沿いに飛び込むと、『パン、パン!』って銃声だけが聞こえてきて。

 僕も相方も弾が当たっていないことを確認し、近所の小屋に逃げ込んだら、そいつらは外でずっと僕たちのことを探しているんです。小屋の中にたまたま斧があったから、それを握りしめて『来たらやるしかない』と入り口のところで待ち構えていました。15~20分くらいじっとしていたんじゃないかな」(石本)

ロシナンテは現在、北海道・十勝の花畑牧場で余生を送っている
【写真】「猿岩石」時代の有吉弘行と元相方の森脇和成

 ドロンズといえば、ロバのロシナンテと北海道~鹿児島を歩いた日本縦断紀行も忘れられない。

「あのときはヒッチハイクより、ロシナンテが周りの人をケガさせないように防ぐことのほうが大変でした。旅も後半あたりになるとロシナンテ人気が高まり、東京に着いたら同行ディレクターが〆谷(浩斗)さんという有名な人に代わりました。

 あの人からは『お前らじゃねえんだよ、ロシナンテが有名なんだよ。お前らがロシナンテを守れ』と言われて、相方(大島直也)がロシナンテの綱をちょっと緩めると『ロシナンテが子どもを襲ったらどうすんだ! 』とボコボコに殴られていました(笑)

無名から司会者まで上り詰めたチューヤン

 〆谷さんからは『ロシナンテが誰かをケガさせたらお前らの責任だ』なんて言われたけど『いやいや、これをやらせてる番組のせいでしょ!』って言い返したら、さすがの〆谷さんも笑ってましたね(笑)。

 それまでは自分たちのための旅だったけど、ロシナンテとの旅は尽くす側だったので人間として成長できました」(石本)

 ちなみに、ロシナンテと朋友のチューヤンは一時期同じ芸能事務所に所属していたことが。ロシナンテのほうが先にテレビ出演をしていたため、チューヤンはロシナンテのことを「先輩」と呼んでいたという。