再びゼロから始める絶望感と焦りの毎日

 夫も検査を受け、問題はないと判明。いよいよ人工授精への期待がふくらむ。

「体外受精から顕微授精に切り替えることになったときのためにも、少しでも若い卵を冷凍保存しようとなったんですが、私の場合、どんなに誘発剤を打っても卵子が1~2個取れるか取れないかだったんです」

 やっとのことで受精した卵をお腹に戻すと、すぐに着床して妊娠検査薬で反応が出た。

「高齢にもかかわらず1回目で着床できたことに喜んだのもつかの間、次の診察のときにはいなくなっていました」

 検査薬で陽性反応が出たとき、夫にはまだ伝えていなかった。クリニックで確認してから伝えるつもりだったのだ。

「“できたよ!”って、夫を驚かせてあげたかったんです。彼の喜ぶ顔が見たかったの」

 結局、ショックで大泣きしながら夫に伝えると、「なんで言ってくれなかったの? 一緒に苦しみを分かち合いたかった」

 と言ってくれた。しかし2回目に同じ経験をしたときも夫には話せなかった。

「同じように、また彼を悩ませてしまうんじゃないかと思って……」

 またゼロからという絶望感と焦り。毎日、SNSで同世代で妊娠した人たちの投稿を見て希望を持ち、同時に妊娠できなかった自分を責めた。

「あのときヒールをはいて仕事をしたから。スタジオが寒かったので暖かいズボンの衣装を選べばよかった。今、階段を歩いちゃったけど、振動がまずかったかな……」

'14年11月、靴メーカーの発表会で笑顔を見せる彼女は治療に取り組み始めていた
【写真】仕事を頑張りつつ、不妊治療に取り組み始めた42歳ごろのアンミカ

 生活のすべてが、そこに向いてしまう日々。さらに顕微授精へと進んでいく。

「そこで初めて胎嚢(たいのう)が大きくなるところまでいったんです。“やっとだ、きっと来てくれる!”と思いました。ですがその後、心拍が確認できなかった」

 仕事をしながらの不妊治療は精神的にも限界にきていた。仕事のせいで流産したのではという思いと、仕事のおかげで気分転換できて救われている思いがせめぎ合った。

 さらに、もうひとつ気がかりだったのは、30代のころから甲状腺の疾患である橋本病の持病があったこと。若くして更年期のような症状があり、早期流産するクセもその影響が少なからずあった。

「持病に加え心労が重なり、体調を崩しがちになりました。そこで不妊治療を一度中断し、心身を休めることにしました。根本的に体質を見直すために、漢方養生指導士の勉強をし、体質改善に努める日々が始まりました」