世間にウソをつき続けるのが心苦しかった

事務所の社長から、インタビューでは一切しゃべるなと言われ、“人間嫌い”という設定になっていたんです。家族とも絶縁したことになっていて、電話も解約させられたため、本当に家族と音信不通になってしまいました。実際は、歌っているとき以外はごく普通の女の子だったんですよ。

 なにより、世間にウソをつき続けるのが心苦しかったです。一方で、とにかく歌が1番で、歌を歌えるならキャラなんてどうでもいいという思いもありました。社長の言うとおりにしていれば、一生、大事に面倒を見てもらえると思っていて、それを疑わずに生きてきたんです

 これが大きな間違いだったとわかるのは、事務所が倒産し、住む家もなくなってからのことだ。

22年間、事務所の言うとおりにしてきましたが、印税をまったくもらってなくて、最後に社長から渡された私の通帳には1000円しか入ってなかったんです。

 住んでいた家を追い出され、ホームレスのような状態になって初めて、いかに自分が世間知らずだったかに気づきました。

 私には『呪い』というタイトルの歌がありますが(笑)、実際に人を恨むのは嫌だったので、社長を訴えることはしませんでした。そんなときに安田さんに再会して、これからは、今までやっていないことをやろう、いろんなことを経験しないとダメだと決意し、結婚もしてみようと思ったんです。

 2001年の元日に入籍したのは、イヤなことは20世紀に置いてきて、21世紀は今と前だけを向いて生きていくと決めたからです

 歌い始めてから22年、初めて自由の身となり、自分の意思で行動できるようになった山崎は、音信不通だったクラスメートと再会したり、旅行に行ったりと、これまでしてこなかったことを謳歌するように。

『ハコちゃんは自由にしていいんだよ。いっぱい遊んだらいいよ。音楽も変わってくるよ』と安田さんが言ってくれて。本当に優しい人で、いつも私のためにギターを弾いてくれました。そのギターを私が『ちょうだい』と言うと、『ダメ。貸すならいいよ』と断られ、それくらい安田さんはギターを大事にしていたんです。でも病気になってから『ギター、ハコちゃんにあげるよ』と言うので、今度は私が『くれなくていい。ずっと貸して』と返しました。

 今回、そのギターを弾いて『安田裕美の会』を行いましたが、今もギターは安田さんから借りているだけなんです。ひとりになってしまいましたが、安田さんの音楽をずっと守っていかないといけないので、ひとりではありません」

7月4日に行われた「安田裕美の会」。故・安田さんの写真とギターが見守る中、涙をこらえて歌い切った