「7月23日、陛下は東京オリンピックの開会式に出席し、開会宣言をされました。各国首脳らが配偶者を伴わずに来日していることから、雅子さまは開会式を欠席されましたが、試合や報道をお住まいでご覧になって、選手の活躍に喜んでおられるようです」(宮内庁関係者)

苦悩の日々を支えた大恩人が天国へ

 そんな東京五輪が開幕する3週間前の7月6日、陛下は1度目のワクチンを接種された。しかし、その直前には心を痛められるできごとがあった。

東京オリンピックの開会式の会場で開会を宣言された陛下('21年7月23日)
東京オリンピックの開会式の会場で開会を宣言された陛下('21年7月23日)

「7月4日、雅子さまの“大恩人”といわれている元東宮大夫の野村一成さんが肺炎のため81歳でお亡くなりに。野村さんは、雅子さまのお父さまである小和田恆さんがロシアの日本大使館に勤務していたときの部下でもあり、雅子さまが幼いころから“野村のおじちゃま”と慕ってこられた方です」(宮内庁OB)

 そんな野村さんが、当時の皇太子ご一家を支える“側近トップ”の東宮大夫に任命されたのは'06年4月のこと。

雅子さまは『適応障害』の治療が長引き、公務や宮中祭祀の欠席が続いていることに対して、世間からの風当たりが強まっていた時期でした。雅子さまから全幅の信頼を置かれていた野村さんは東宮大夫に就任直後、ご一家のオランダ静養を実現させるべく奔走しました」(同・前)

 国内の公務もままならない雅子さまが外国を訪問されることに対し、宮内庁内部からも批判の声が上がった。

「当時、オランダには雅子さまのご両親が駐在していました。野村さんは、雅子さまの回復のためにはご両親の力が必要不可欠だと考え、批判を浴びながらもご静養を断行したのです」(別の宮内庁OB)