直木賞の授賞式で親離れ

 2011年に刊行された『ワン・モア』(角川書店 現KADOKAWA)は、桜木のそんな気迫がこもった連作短編集だ。官能とかエンタメとかのくくりを超えた、人間の持つさまざまな感情が複雑に絡み合う短編集となった。

 2012年、桜木は『ラブレス』で第146回直木三十五賞候補、第14回大藪春彦賞候補、第33回吉川英治文学新人賞候補となり、翌年『ホテルローヤル』で直木賞を受賞した。

直木賞受賞会見にゴールデンボンバーの鬼龍院翔が愛用するタミヤのTシャツ姿で登場。「言葉の選び方がすごい」と絶賛し、大ファンを公言している
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【写真】家業のラブホテルを手伝っていた当時15歳の桜木紫乃さん

 受賞前の妻の様子を敏博さんはよく覚えているという。

「直木賞の受賞時、私は単身赴任で釧路にいました。本人は『ダメだと思うけど』と言いながら東京へ出かけ、子どもたちは自宅で留守番をしていた。受賞したと聞いてびっくりしました。週末、私が帰宅したら玄関先が花で埋め尽くされていた。1週間ほどたってようやく戻ってきた桜木は疲れ果てていましたね」

 直木賞の授賞式には、夫の両親と自身の両親が東京會舘に集まった。4人が同じ席についているのを見て、桜木には深い感慨があったという。

2013年、小説『ホテルローヤル』で直木賞を受賞。「親が私をあきらめた瞬間だったと思う」と桜木
2013年、小説『ホテルローヤル』で直木賞を受賞。「親が私をあきらめた瞬間だったと思う」と桜木

「このときようやく、私は親離れできたと思ったし、親が私をあきらめてくれたとも思いました。“家族”についても好きに書き続けてきたから、もう何を言われてもしかたないし、何を言われてもかまわない」

 直木賞を受賞して押しも押されもせぬ作家となってからも、彼女の人間性はまったく変わっていないとさまざまな立場の人たちが口をそろえる。それだけでなく、周りの女性たちの背中をさりげなく押したり励ましたりする言動が増えていった。

 エッセイストで書店員の新井見枝香さん(41)は、『ラブレス』が刊行されたころ勤めていた書店に桜木が来訪したのが縁で知り合った。

「ストリップの踊り子さんをモデルにした『裸の華』を出版されたあと、興味があると言ったら、シアター上野というストリップ劇場に連れていってくれたんです。それまで2人で出かけたこともなかったんですが……。私が魅了されることを見通していたんでしょうか。踊り子さんを紹介してくれたり、ただただ楽しい時間でした」

 桜木はストリップが好きなことでも知られている。20年ほど前、伝説の元ストリッパーで当時、札幌道頓堀劇場の社長をしていた清水ひとみさんが新聞で連載していたエッセイを読んだのがきっかけだったという。

「その記事に、『元ストリッパーで、今は小屋主をしていて舞台に立つこともあります。今でもときどき、泣きます』と書いてあって、この人に会いたいと思ったんです。会う前に劇場に行って観てみたら、びっくりするような世界があった。気っ風(ぷ)よく脱ぐ人は肝の据わり方が違うんですよ。観ているうちに、脱いで喜ぶ女も小説書いて喜ぶ女もいない、だけどそうせざるをえない何かがあるんじゃないかと思えてきて。どちらも表現活動には違いないから」

 そんな桜木に導かれた新井さんもまた、ストリップの虜になった。1年半前からプロの踊り子として舞台に立っている。

「余興でステージに立ったら、桜木さんがものすごく喜んでくれたのがきっかけで、本職のひとつになったんです。自分が楽しんでいることを人も喜んでくれる。それが驚きで……。桜木さんに出会って人生が面白くなってきました」

 桜木がふと漏らした言葉が、新井さんには人生の大きな指針になったり考えるきっかけになったりしているという。

「何か話をしていたときに、桜木さんが『生きづらくない人なんているのかな』とぽろっと言ったんです。私がステージに立ったときも、『裸になるのイヤじゃない?』なんて言う人が多かったんですが、桜木さんは違った。『ステージから見える景色はどうだい?』と聞いてくれた。すごいことを言うでしょう? 私は桜木さんを師匠と呼んでいます」

 桜木との出会いで、新井さんの人生は広がり、だいぶ楽に生きられるようになったという。

エッセイスト・書店員の新井見枝香さんと。桜木は、仕事で出会う女性たちに影響を与えている
エッセイスト・書店員の新井見枝香さんと。桜木は、仕事で出会う女性たちに影響を与えている

 もうひとり、桜木を「姉御」と慕うのは、映画監督の三島有紀子さん(52)だ。

「もともと私は桜木さんの小説のファンでした。'15年に『硝子の葦』という作品をドラマにしたのが直接の出会いです。桜木さんはそのドラマをオンエアで観て、放送直後に電話をくださった。『あなたはとても怖い人だ』って。驚きましたが、すごい褒め言葉だと思いました。『あなたは私と非常に似たようなところを漂っている人』とも言われてうれしかったですね。その電話で数時間、真剣にお話ししたのを覚えています」

 それからまもなく、最初に会ったとき、桜木はガラス細工のもやしをくれたという。

「どうしてもやしなんですかと尋ねたら、本当はガラスの葦(あし)にしたかったんだけどなかったので、もやしが近いかなと思ってと(笑)。ガラス細工の職人さんのところにわざわざ行って買ってきてくれたんですって」

 その後もふたりの交流は続いている。実際に会ったりメールをしたり、ときには電話で話したり。三島さんにとってそれはかけがえのない時間だ。

「われわれみたいな人間にとって、小説や映画はどうしようもないときの命綱である。だから私たちはその命綱を誰かのために命がけで編まなければならないと語られた言葉が忘れられません」

 三島さんは桜木を「命がけで人間探求をしている人、人間に対して慈しみと敬意があり、人生を楽しめる人」と評した。真剣に人生を語ったかと思うと、年賀状の写真には『ベルサイユのばら』のオスカルの衣装を着て「なりきる」桜木もいる。そこが彼女の懐の深いところなのだろう。

「桜木さんは生まれ育った北海道の大地みたいな人。厳しくもあるが、悠然と包み込んでくれるような人間としての大きさを感じます。人生の姉御を、どこまでも探求していきます」

 近い将来、必ず桜木の作品を映画化すると三島さんは決めている。