「娘の顔も忘れた母は天使のよう」

 現在、桜木の実の両親はふたりきりで暮らしている。さまざまなことがあったが、母は認知症となり、父はその世話をしているという。昨年、そんな家族の実態を小説化した『家族じまい』で中央公論文芸賞を受賞した。

 認知症になった妻と横暴な夫、そして桜木自身と妹を投影したふたりの娘など夫婦に縁の深い女性たちの目から見た「家族のありよう」が描かれている。実話ともいえる作品なのだが、そこは作家の身体を通し、フィクションとして昇華されている。とはいえ、親子、姉妹の葛藤や苦悩は生々しいほどリアルだ。

「これを書いて、やっとひと区切りついた感じです。母は今や天使ですよ。父にひどく当たられたことも、父の愚痴を私に吹き込み続けたことも、何も覚えていない。穏やかに父と暮らせることを喜んでいます。娘の顔も忘れてしまうのは本来ならば寂しいことかもしれないけど、それは母の心身が選んだことだから」

 あとは夫婦ふたりの両親4人をどうやって見送るか。現実から目を背けずに対峙していくと桜木は言う。

 桜木自身も、子どもたちが巣立ち、夫婦ふたりきりの生活になった。夫の敏博さんはこう言う。

「私が退職した直後は、ふたりきりのペースがなかなかつかめませんでしたが、やっと落ち着いてきました。今はふたりでワンちゃんを散歩させるのが日課。時間があるときは居酒屋に行って、おいしいごはんにおいしいお酒を楽しむこともあります。なんだかんだ言って好きでいてくれることもよくわかっているので、これからも一緒にやっていこうねと言いたいですね」

 敏博さんは結婚して最初のボーナスを渡したとき、桜木が「ありがとう」と押し戴(いただ)いたことをはっきり覚えている。気遣いのできる妻だと心に刻まれているのだ。

「“どんなふうに死ぬか”しか、親に教えられることはないと思う。子どもには、生き方は他人から学んでほしい」と桜木 撮影/吉岡竜紀
「“どんなふうに死ぬか”しか、親に教えられることはないと思う。子どもには、生き方は他人から学んでほしい」と桜木 撮影/吉岡竜紀
【写真】家業のラブホテルを手伝っていた当時15歳の桜木紫乃さん

「私と一緒になったことを後悔してほしくない。夫に対してはずっとそう思ってきました」

 桜木は何度もそう繰り返した。「私にとっての家族は、夫と子どもたちだけ」とも口にした。

 彼女の最新刊は『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』。キャバレー勤めの章介が、店に出演するマジシャンと歌手とストリッパーとひょんなことから同居することになる。不器用だが人間性に満ちた4人の“疑似家族”的な関係が、軽妙にして心にしみる作品だ。桜木は登場人物が決まると頭の中で彼らが動きだすのをじっと待つのだという。

「書いている間は、登場人物がずっとしゃべったり動いたりしていて、私はその斜め後ろくらいからじっと見ている。そんな感じです。物語が後半になってくると、どこでこの人たちと別れるのか準備を始める。『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』は、書こうと思えばどこまでも書ける作品。でも終わらせなければならない。登場人物と別れたくなかったですね。彼らはきっと今もどこかで元気に生きていると思います」

 そう言ってから、「なんだか私、怪しい人みたいじゃないですか?」と笑った。作品の中の登場人物は、桜木にとって親しい関係だが、ある程度の距離感も必要なのだろう。

 敏博さんは、妻が作中人物とコミュニケーションをとっているのを目の当たりにすることがあるという。

「桜木と散歩に行くと、突然、『あっ』と叫んだりするんですよ(笑)。そういうとき、おそらく登場人物が動きだしているんだと思います。彼女が何かを思いつくというよりは、登場人物たちが勝手に動いているのを受け取っているように見えますね」

 恋愛小説、家族小説というような枠ではなく、「あらゆる人間の業」を、あるときは淡々と、あるときは寄り添うように見つめる目が強い読後感を残す作家として注目され続けている。

 これから先も、おそらく彼女は「小説を読む醍醐味」を味わわせてくれる渾身の小説を世に送り出していくだろう。

「なぜ生きているのか。一生、その答えを探しながら書いていくんだろうなと思います。書いているからこそ出せた答えがたくさんあった。逆に書いていなかったら、私はどうやって生きていたんだろうと苦しくなるくらいです」

 桜木にとって、書くことは生きることと同じなのだ。

(取材・文/亀山早苗)

かめやま・さなえ 1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、貧困や格差社会など、幅広くノンフィクションを執筆。歌舞伎、文楽、落語、オペラなど“ナマ”の舞台を愛する