現在、サッカーにおいて移籍する際は、本人が交渉するのではなく代理人を立てて、チームを探してもらったり、契約交渉をすることが主流だ。本田ももちろんそう。しかし、伊藤はそのすべてを自身でおこなってきたという。

「海外でプレーし出したころは今の時代と違って、インターネットなどの環境がそれほど整っていませんでした。電子辞書もなく、分厚い辞書を持って行き、Googleマップとかもなかったので、宝探しのように地図を広げて練習場まで行ったりしていました。

 今はチームがSNSをやっていて、そこから直接売り込んだりできますが、当時はそれもない。国際電話をかけるとこっちは向こうの声が聞こえるけど、向こうは僕の声が聞こえなかったりとか通信状況が悪いことも。いくらFAXを送っても、読んでるのかわからない、返事もない。毎回埒が明かなくて、参っちゃいそうだった。

 でも、1か月くらいの有効期限の飛行機のチケットを買って、(生活費などに使う)10万円をポケットに入れて行く。契約がまとまる前に10万円が無くなるか飛行機の有効期限が切れたらサッカーをやめると自分にプレッシャーをかけて現地に乗り込んで、ストリートサッカーに混じったり、『笑っていいとも』みたいにいろんな人を紹介してもらったりして、それでなんとかチームの人とつながって、練習に参加して契約みたいな。

 昔ながらの原始的なやり方でした。いつか本にしたりとか講演会とかで話したいなという思いもありました」

 時代が進み、キャリアの終盤はチームのSNSやホームページなどを通してメッセージのやり取りをして移籍交渉に入っていったという。

「給料の交渉までFacebookのメッセンジャーでやったりとか、時代はすごく変わってきたなって思いますね。移籍の際は、サッカー界で『CV』(編集部注・ラテン語の『Curriculum Vitae』の略語で履歴書の意味)というんですけど、身長・体重や何年にどのチームにいてといったことを書いて、それと自分のプレーやテレビで特集されたときの動画を送ったりとか。

 興味を示してくれたら、向こうから折返し連絡があるというシステムですね。チームも年間に何百何千と売り込みがあるので、まずなかなか目に止まらない。CVも写真を付けて目立つようにしたり、動画も長すぎても見てくれないと思うので、5分くらいのインパクトのある動画を見てもらったり、そこらへんは工夫していました」

本田は“同じ考えを持った選手”

 長い海外経験、そして18もの国で得点を上げてきた伊藤は、今回の本田の挑戦はどのように映ったのか。

「率直に嬉しいですね。僕は記録だけで言ったら、本田選手の倍以上の国に行っているし、点も取っています。

 ただやっぱり知名度が全然違うので、あのような発信力のある人が僕と同じようなことをしてくれると、僕自身も今までやってきたことが間違いじゃなかったと感じられる。今こういったインタビューを受けているように本田選手のおかげで、引退しましたけど、また僕の名前が上がってきたりするし、そういう意味で嬉しいです」

 '21年現在は、高校卒業後にプロになれなくても、そこからいきなり海外の大学やチームに飛び込み、プレーする少年は少なくない。

「僕もそうだったんですけど、サッカーは日本だけじゃない。昔だったらJリーグがダメだったらサッカーをやめるだけだった。日本のレベルも上がって、Jリーグに入れなくても、良い選手ってたくさんいると思います。そういう選手も視野を広げたら、ヨーロッパもそうだし、アジアにもたくさん受け皿はある。

 僕もそうですし、本田選手もたぶんそうだと思うんですけど、そういう選手が活躍することによって、日本人の現地での評価を高めて、後々若い選手が同じような道をたどってくれたら嬉しいですね」

 22か国目で引退。夢を語る本田は、今まさに夢の途中だが。今後について伊藤はどのように考えているのか。

サッカー選手としては、もう思い残すことがないくらいやってきました。ただなんとなくやってきたわけではなく、セカンドキャリアにつなげようと思っていました。今、クラーク記念国際高校サッカー部の監督をやっていますが、子どもたちにこういう経験を伝えて、グローバルな生徒を育てていきたいですね」

 本田も常々“グローバルな視点を持つこと”の大事さをSNSなどで発信している。

「似ているところというか、十何年も前に僕が言ったことを本田選手が言っていたりしたので、本当に嬉しいというか、同じ考えを持った選手なんだと思います。自分がやってきたことは間違いじゃなかったと再認識しています」

 本田はまだまだプレーを続けそうだ。伊藤が引退を決意したのはいつのことなのだろうか。

「決してモチベーションが下がったわけではないのですが、やはり需要は年齢とともに減っていきます。43歳までやっていたので、若いときと違ってプレーで無理が効かなくなっていた部分もある。

 最終的にどこかで区切り、線は引かなきゃダメだと思っていて、いいタイミングを探していたら、ちょうど平成が終わるときだった。平成とともにサッカー選手としてのキャリアを終えようと思いました」

 本田は先日のゴールで9か国目。伊藤の18か国を超えることはできるか。