菊之助が準備していた恩返し

「'55年に東宝が松竹に対抗して“東宝歌舞伎”を立ち上げた。吉右衛門さんは'61年に実父や兄とともに東宝に移籍し、同じ舞台に立つことになったんです」(同・松竹関係者)

 生家との距離が縮まる機会となったが、環境の激変に戸惑いを覚えるように。

「吉右衛門さんは、スタンダールの『赤と黒』や漫画『巨人の星』の星一徹役など、現代劇からミュージカルまで幅広く挑戦。でも、自分ではしっくりこなかったようです。一方、白鸚さんは現代劇でメキメキと頭角を現し、主演した『ラ・マンチャの男』は代表作になりました。吉右衛門さんは'74年に松竹に戻ります。出戻りということで冷遇されましたが、確かな芸が彼の評価を高めていきました」(同・松竹関係者)

 その後も兄弟は、切磋琢磨しながら、高く険しい歌舞伎道を進み、ともになくてはならない存在になる。白鸚は、弟の早すぎる死を悼んだ。

「今、とても悲しいです。たった1人の弟ですから。幼いころ、波野の家に養子となり、祖父の芸を一生かけて成し遂げました。病院での別れの顔は、安らかでとてもいい顔でした。播磨屋の祖父そっくりでした」

 白鸚には男子が生まれ、十代目松本幸四郎となった。後継ぎのいない吉右衛門さんは、娘婿の菊之助に望みを託していたともいわれている。

「結婚当初から菊之助さんに息子が2人生まれたら、1人を吉右衛門さんの養子に出すという話もあったそうです。でも、長男の丑之助くんが生まれた後は、女の子が2人。菊之助さんは、恩返しできなかったことを悔やんでいたのかもしれません」(前出・松竹関係者)

 菊之助は、別の方法で恩に報いようとしているようだ。そのことは、彼が選んだ演目にはっきりと表れている。

「倒れた直後の4月に行われた『絵本太功記』では、吉右衛門さんの得意とした光秀の息子役を菊之助さんが、7月の『御存鈴ヶ森』でも吉右衛門さんが演じる予定だった幡随院長兵衛の相棒役である白井権八役を菊之助さんが演じました。吉右衛門さんがいつ復帰してきても相手が務まるようにと、菊之助さんの意向が強く反映されていたのでしょう」(前出・歌舞伎関係者)

 吉右衛門さんが到達した至高の芸は“息子”へと受け継がれていく─。