極秘で闘病生活を送りながらも、身の回りのことは自分でこなしていた。

「自力での呼吸が困難になると、酸素吸入器を病院から借りました。機器から鼻につなぐチューブは、自宅の2階まで届くほど長くしていたけど、着替えるのも大変だったと思いますよ。でも、きちんと畳むところまでひとりでやっていました。

 病状が悪化して入院しましたが、初日は高濃度の酸素がいっぱいもらえたからか、すごく元気になって。6時間くらい話していましたよ。それから5日間は思い出話がたくさんできて、かけがえのない時間となりました。徐々に弱ってきて、眠るような最期でしたね

銀座で弾き語りした時代も

 ふたりが結婚したのは'74年12月。樫山が4歳年上の姉さん女房だった。当時の樫山は劇団民藝のスター女優で、NHK朝ドラ『おはなはん』のヒロインを務めて国民的人気があった。劇団の後輩だった綿引さんとは今で言う“格差婚”と呼ばれたことも。

─そのころの樫山さんは、自分は“生涯独身”と思っていたそうですね。

「女優さんって大変な仕事だから、結婚なんてできないんじゃないか、自分にはそんなキャパがないんじゃないかと思っていたんです。彼は年下だけど、何があっても食べさせるって言ってくれました。とにかく自分とまったく違う人だったからおもしろかった。いいことも悪いことも強烈でね。結婚って我慢比べでもありますから。

 あんまり強烈なことを言われて我慢の限界までいっちゃって、もうダメと思うことはありましたが、なんだか不思議な魅力がある人だったんです。私も感情の起伏が激しいのですが、彼はその倍で(笑)

 お互いに仕事に打ち込んでいたこともあり、子づくりには積極的ではなかった。

軽井沢にて。樫山文枝は綿引勝彦さんの空気を感じるため今も行きたくなるそう
軽井沢にて。樫山文枝は綿引勝彦さんの空気を感じるため今も行きたくなるそう
【写真】『天までとどけ』の同窓会に出席する故・綿引勝彦さん

「お互いの“個”が確立しているっていう感じでしたから。ただ、それは若気の至りだったかな。人生って長くって、こんなに続くと知らなかったし、そんなに思いつめなくてもよかったかも。子どもがいてもよかったのかなと思ったりとか、いろいろな反省をしています。でも私が彼を見送ることができて、私の面倒を見ずにすんでよかったと思います」

 子どもがいないこともあり、綿引さんは多趣味だった。

私と出会ったころは、まだ役者だけでは食べていけなかったので、銀座で弾き語りをしていました。ギターも歌もうまかったんですよ。病気になってからは、彼を元気づけるものは、将棋と別荘のある軽井沢の木々でしたね。

 自宅にもシクラメンの花を3鉢、買ってきて。今は“あなたの花がこんなにキレイよ”って毎日、水をやりながら話しかけています。本当に丈夫で、健康な人だったから、私が置いてけぼりになるとは思わなかったけど……」