世界中のセレブたちと直接交渉する

 今回の取材中、松井が絵を描く姿を見学させてもらった。キャンバスを見つめながら、「コントロールするなよ」、「いいぞ、いいぞ」と自らに暗示をかけるかのように呟きながら、面相筆で色を重ねていく。特徴的なのは、漢字の“八”をなぞるように色を重ねていく点だ。

「フランス人は『愛』という漢字を見たときに、究極の抽象画だと言っていた。僕も、当初は絵の中で人間を描いていたんだけど、その人間をどんどん小さくしていったら、『人』という字ではないけども、自然とそういう表現にたどり着いた。ある意味では、この手法は松井守男の出発点。『人』は、『遺言』で到達した濃縮なんだ」

 圧倒的なスケール、面相筆で幾重にも描かれた緻密かつ重厚な色の輝き。まるで光が爆発し、その光が降り注ぐような『遺言』は、完成するやフランス国内で激賞され、松井は「光の画家」と呼ばれるようになる。

「みんなが僕を主役にするために頑張ってくれたんだなと思う。それに応えるために僕も頑張れたんだと、改めて思う」

 何者かになりたかった青年だった松井は、今、そう静かに微笑む。'03年、レジオン・ドヌール勲章を受章したことで、松井の絵は、死後、ルーブル美術館に展示されることが約束されている。

 松井が描いた絵は、高価なものであれば数億円の値がつく。アラブの王族、F1の会長……小説にしか登場しないような人物たちが、モリオ・マツイの絵を求めて、アトリエのあるコルシカ島まで来訪する。本当に、都市伝説さながらだ。

 コルシカ島のアトリエを訪れたことがあるコメディアンで俳優の大村崑さんは「こんなおもろいおっさんいませんよ」と語る。

「面白い人じゃなくて、おもろい人。喜劇人の専門家である僕が言ってるんですから、素人さんが松井さんを見たらもっとおもろいはずですよ。昔はもっと、優しさとおもろさが備わったおっさんやおばはんがいた。そういう懐かしい雰囲気もあるんです」

 大村さんは、コルシカで見た朝日と夕日が忘れられないという。

「朝早くに、突然松井さんが『お祭りに行こう』って言うんです。ロベールさんが運転するんだけど、これがまた荒い!(笑)僕らが必死になってシートを握っている姿を見て、松井さんはケタケタと笑っていたんです」

 丘の上に到着すると、現地のフランス人が大勢出迎えてくれた。

「こんなにフランス人から愛されている日本人がいるんだと驚きました。祭りに行くときに見た朝日、帰るときに眺めた夕日。僕は絵のことはわからない。でも、誰もが人間・松井守男に触れると魅了されてしまうのはわかります」

 絵の魅力に加え、その人柄に惚れて絵を買う者もいる。松井は、画廊や画商を介さず、購入意欲のある者と直接、相対で絵の取引を行うという。ピカソに倣ってのことである。

「自分の価値を自分で決めることの大切さも、彼から教わったことのひとつ。そうすることで、人や物を見る目が養われ、真剣さが増すんだよね。自分で決めるからこそ、購入者が単なるコレクターではなく、お客様であり、友人になりうる。信頼関係が生まれる」

 60歳までは買わない、そう釘を刺されたベルネイム=ジュンヌ画廊からも口説かれた。だが、「(アンリ・)マティスもこんなに安く契約したんだぞ」と言われて断った。そんな説明をするような人に、自分が一生懸命描いた絵を預けることはできないと思ったからだ。

「絵は、わが子のような存在。自分が気に入らない人とは結婚させたくないでしょ?逆に言えば、気の合う人であれば、喜んで絵を差し出しますよ」

 ロベールさんは松井の人となりについて、「何事も絶対にやり通す人間」と答える。裏を返せば、頑固。それゆえ、アンチ権威の態度は、いまなお徹底して変わらない。ここに、錦を飾れるはずの松井が、日本では不思議なほどに知られていない要因がある。

「過去に何度も日本の有名画廊からオファーを受けたことがあるけど、僕は日本の美術界の杓子定規な考え方がどうしても好きになれない。わかりやすい例が、『美術年鑑』に掲載されている、サイズあたりの絵の価格。1号いくらという具合に、サイズによって価格が決められている。芸術家ファーストではなく、ビジネスファースト。つまり、アーティストよりも、値付けをする画廊や画商のほうが偉くなっているの」