サッカー少年を魅了した演劇との出会い

 吉岡さんは1955年、熊本県熊本市で生まれた。水前寺公園にほど近い場所で育ったわんぱく少年は、中学からサッカーを始める。

「高校1年生でレギュラーに選ばれて、インターハイの県予選でいいところまで行ったら、なんだか飽きてしまって。ボールを追いかけて泥まみれになるの、嫌だなと思って、やめてしまったんです」

 部活をやめた原因はもう1つあった。両親の離婚だ。

「練習が終わって、疲れて家に帰ってくると、親父が不貞腐れて寝ているんですよ。それを見るのが嫌で」

 父と2人暮らしとなり、家に帰りづらくなった吉岡さんは、あり余る時間をつぶすため映画を見るようになる。

「あるとき、リバイバル上映で『戦場にかける橋』を見たんですよ。そしたら映画館を出たあと、わけのわからない感動が込み上げ、涙もバーッと出てきた。それで演劇をやりたい、と思ったんです」

 吉岡さんには年の離れた姉が3人いて、すぐ上の姉が高校卒業後、役者を目指し上京していた。

「姉は演劇の本を読み、日本舞踊や琴をやったりしていて、“私は芝居の世界に行くんだ”っていう意識が子どものときから強かったんです」

 そんな姉が残していった、名優・宇野重吉の著作『新劇・愉し哀し』などを読んで、演劇の世界を知った吉岡さん。すぐに自作自演の一人芝居を手がけ、高校生が対象の演劇コンクールに出場する。

「そうしたら審査員の先生方がビックリして。それで熊本で活動する劇団『石』に入って、大人に交じって芝居をやるようになったんです。夜中にジャズ喫茶でチェーホフの戯曲をやったこともありました。ませていましたね」

 さらに吉岡さんが演劇へ傾倒する体験もあった。劇団『文学座』が巡業で熊本へ来て、テネシー・ウィリアムズの戯曲『ガラスの動物園』を上演したのだ。吉岡さんはこのとき、知り合いから頼まれ、出演者の手伝いをするなど身近なところで演劇に触れた。のちに『おしん』で共演する高橋悦史さんの演技には、特に心を打たれたという。

 ますます芝居にのめり込み、所属する劇団の公演で観客からたくさんの拍手をもらった。周りの大人たちからは「吉岡くんすごいな、役者に向いているよ」と褒められた。

 気持ちは固まった─。東京へ行って、役者になりたい。

 高校3年生になった吉岡さんは、思い切って正直な気持ちを父親にぶつけた。

「役者になりたか」「なんば言うとか」「やりたかけん」「おまえがやったところで、ものになるような世界じゃなかろうが」「それはわかっとうばってん、やりたかけん!」……。3時間粘ったが結局、許してもらえなかった。

 高校卒業を間近に控えたある日、父親が再婚した継母と些細なことから衝突した。吉岡さんはバッグひとつで家を飛び出し、熊本から電車を乗り継ぎ、東京の姉のところへ身を寄せた。このまま東京で役者になる……、そう決意した矢先、実家から謝罪の電話があり帰郷することにした。

「それで大学の試験を受けさせてもらえることになって、たまたま受かって。だから僕、高校の卒業式には出ていないんですよ」(吉岡さん)