「人生100年時代」の今、年を重ねても、細く長く働き続けたいと願う人は少なくない。「人と接するからボケないのよね」と笑うふくさんとミヨさんも、その体現者だ。老舗ののれんを守り、今も“看板娘”として現役で店に立つ。103歳と91歳になっても元気いっぱいだが、その源はいったいどこから? 暮らしに密着した。
映画館がダメになって仕方なく始めた商売
「12時ごろになると、『さぁ今日もお店に行かなくちゃ』って気持ちになるんですよ」
そう話すのは、群馬県藤岡市のラーメン店「銀華亭」で働く、天川ふくさん。御年103歳の現役看板娘だ。今も週5日、昼時には厨房に立つ。
次男で店主の俊二さんの合図で麺をゆで始め、タイマーをセット。慣れた手つきで湯切りをして盛りつけまで担当。麺がゆで上がるまでは、背すじを伸ばして胸を開いたり、肩甲骨を回したりして待つ。
「子どものころ、私は姿勢が悪くてね。父に『そんな猫背じゃ肺病(肺結核)になる』と言われて、それから胸を開くようにしているんです」(ふくさん、以下同)
次男夫妻と長女とともに切り盛りするお店は、創業60年。結婚して天川家に嫁いできたのは26歳のときだった。
「もともとは飲食店ではなくて、ここは映画館だったんです。私は昔、東京まで毎週、見に行くほど映画が好きでね。映画がいっぱい見られるならいいなぁと思って嫁いできたんです。料理も好きじゃなかったし、この商売(飲食店)をやっていたら嫁には来なかったですよ(笑)」
1960年代、映画館はテレビの勢いに押されて衰退。群馬県内の映画館も打撃を受け、飲食店に切り替わった。
「うちもどうしよう……となったとき、高崎にある会社が『料理の見習いに来てもいいよ』と言ってくれて。ラーメンと餃子くらい作れるようになれば、主人とお店をやれるかなと思って。半年ほど通って学びました」
見習い修業を経て、映画館の片隅で「銀華亭」をオープン。しかし数年後、火事で映画館と自宅が焼失し、飲食業一本で商売をすることに。
「映画館がダメになって仕方なく始めた商売でしたけど、ありがたいことに、店は賑わいました。近くの役場や郵便局で働く人、映画を見に来てくれていた人たちが、昼も夜も使ってくれて。みんな信頼関係があるから、ツケで飲んでね。夜は飲みながら歌って、わいわい楽しかったですよ」






















