来日した際は衰弱しきっていたマリヤさんだったが、現在はかなり落ち着いてきたという。

「この前、私の息子の小学校の卒業式に参加して、とても感激していました。桜が好きなので、お花見も楽しみましたね」

ウクライナを伝え続けたい

 マリヤさんの難民申請が受理され、落ち着いたら、一緒にウクライナを伝える活動をしていきたいと語る。

「母と一緒に、ウクライナに親しみを持ってもらうためのイベントをしていきたいです。母は歌もお料理も得意なので。そうやって、ウクライナのことを、日本はもちろん、世界のたくさんの人たちの心に刻みたいのです。

 本当なら、私もウクライナに戻ってみんなと一緒に戦いたい。私が通っていた音楽学校があった周辺は、爆撃で大きなダメージを受けてしまいました。私が使用しているバンドゥーラの製作工房も、連絡がとれないので無事かどうかわかりません。

 でも気づいたのですけど、私がこうやって、ウクライナという存在をみんなに知ってもらって、支持してくれる人を増やすことが、ロシアへの大きな反撃にもなるんですよね。だから私は国外から、ウクライナについて発信し続けたいのです」

 ロシア・プーチン大統領の独裁によって、苦しんでいるのはウクライナの人たちだけではない。いわれなき誹謗中傷に悩まされている在日ロシアの人々もいる。

 日本・ロシア協会の常任理事であり、外国人が多く所属する芸能事務所・稲川素子事務所の稲川素子社長(88)はこう話す。

「私はロシア人にもウクライナ人にも知り合いがいますから、今回の戦争には本当に心を痛めています。私が長年面倒を見ているロシア人は、家の前にゴミをまかれ、ポストに『ロシアへ帰れ』と書かれた紙を入れられたそうです。ほかにも、道で『ロシア人のバカ野郎』という言葉を投げかけられたという人もいます。

 また、ウクライナの激戦地帯であるマリウポリには、もともとウクライナ人だけでなくロシア人も多く住んでいて、双方たくさんの戦死者が出ていると聞きます。50年以上国際交流に尽力してきた身として、とても悲しいです」

「知る」「関心を持つ」ということが、平和への第一歩だということを、決して忘れてはならない。

PROFILE●カテリーナ●1986年3月28日、旧ソ連(現ウクライナ)のプリピャチ生まれ。生後1か月のときにチェルノブイリ原発事故が発生し、一家で首都キーウへ避難。6歳のときにウクライナの民族楽器バンドゥーラを始める。海外公演で訪れた際に気に入った日本へ19歳のときに移住。1男の母でもある。

(取材・文/木原みぎわ)