自分を解放できたのは美輪明宏の歌のおかげ

 スランプ脱出の大きなきっかけになったのが、美輪明宏さんの歌う『ヨイトマケの歌』との出会い。家族のため工事現場で働く母を偲んで書かれた歌で、まさに自身の半生そのものだと感じた。米良さんはその曲を裏声でなく、あえて地声で歌った。勇気を振り絞り、生まれたままの声を披露し、そこで一つ殻を脱ぎ捨てた。

「ありのままの自分でいようとしたら、すごく穏やかな気持ちになれた。ようやく自分を客観的に見ることができるようになって、それまで隠してきた過去についても語れるようになりました。『ヨイトマケの歌』で再出発を切ることができた。僕の人生の第一章があのとき終わり、今は第二章を歩んでいるところです」

 激動の第一章を乗り越え、穏やかに始まったはずの第二章。しかし試練はまだまだ容赦なく続く。'14年末、くも膜下出血で倒れ、長い闘病生活を余儀なくされる。

「ステージ4でした。コブが3つできていて、本当に命が危なかった。もともとうちはくも膜下の家系で、40歳を過ぎたら脳ドックを受けるようにと言われていたけれど、元気な時って聞かないんですよね(笑)。

 予兆もまったくありませんでした。倒れたのは九州での仕事を終え、自宅に帰った日の夜のこと。でも帰りの記憶がすでになくて。翌日はオフで、たまたまマネージャーが発見してくれたから何とか助かったけれど、もう少し遅かったら……」

 緊急手術で一命をとりとめるも、予後が芳しくなく1か月後に水頭症を発症。意識の混濁が続き、2度目の手術を受ける。復帰は約9か月後で、車椅子に乗ってステージに登場した。

「なるだけ痛々しく見えないように、演出で看護師の格好をしたスタッフに車椅子を押してもらいました。でもバレバレでしたけど(笑)」

 再起でファンを喜ばせたのも束の間、再手術時に脳動脈瘤を止めていたクリップが外れ、ほどなく3度目の手術を行っている。

 2年前には前十字靭帯断裂という大けがを負った。難病ゆえ骨にボルトが打てず、装具で固定してしのいでいる。日常生活にも支障をきたし、杖を手放せたのもつい最近になってからだという。

「ただお布団を準備していただけでバキッとなって。僕の場合、不慮の事故でも何でもなく、気を付けようがない。何より先天性骨形成不全症は中高年になって骨折が多発するケースもあるから、いつまでこの状態で歌っていられるか僕自身もわからないんです」