一番の悪手はドラマの“謳い文句”

 話を転がすため、そして主人公一家を窮地に陥らせるために必要なキャラクターを出し、問題が解決すれば倉庫へしまう……エピソードを積み重ねることなく、その場その場で人物や設定が増え、倉庫の備品は増えるばかりなのに、誰も適切に管理をしていないと言う成田さんは、「しかしそんな中でも一番の悪手は、当初の釣書までも倉庫へ入れてしまったことでしょう」と指摘する。

≪大好きな人と、おいしいものを食べると、誰でも笑顔になる――ふるさと沖縄の料理に夢をかけたヒロインと、支えあう兄妹(きょうだい)たち。傷つきながら、励まし合いながら、大人への階段をのぼっていく個性豊かな沖縄四兄妹の、本土復帰からの歩みを描く、笑って泣ける朗らかな50年の物語≫

『ちむどんどん』では番組開始前にこのような惹句を発表しており、沖縄本土復帰50年を記念するドラマという謳い文句でスタートした。

「しかし日本へ返還される前の沖縄の描写がほとんどなく、まずここで視聴者は肩透かしを喰らいました。

 そして父が亡くなり、借金を抱える比嘉家は少しでも家計を楽にするため暢子が東京の親戚のところへ養子に行くことになったのを土壇場でひっくり返し、“家族で幸せになる”と宣言しました。“じゃあ借金はどうなるの?”と視聴者が固唾を呑んで見守った翌週の第11回、17歳になった暢子は高校へ進学しており、さらに兄の賢秀も中退ながら高校へ進学、姉の良子に至っては短大まで出て教師になっているなど“そのお金はどこから出たの?”と疑問が噴出、借金問題がどうなったのかほとんどわからないまま今に至っています。

 ここでつまずいた視聴者は多いと思いますが、実は7月に放送された総集編『ちむどんどん特別編』で比嘉家所有のサトウキビ畑を売って借金を返したということが暢子役の黒島結菜さんのナレーションで説明されていました。しかし本放送の疑問を解消するための答えが“違う倉庫”から出されては、見ている側としてはもう手も足も出ませんよね。

 さらにコックや新聞記者など仕事の描写もご都合主義的で、借金を含めたお金の問題をすぐウヤムヤにして倉庫入りさせてしまう、メインのテーマであるはずの料理メニューに心惹かれない、暴力沙汰や犯罪、違法行為を物語を進めるために使うのもどうかと思います。

 そして時代考証が甘くて、当時を知る世代は違和感を抱くシーンが多く、1970年代には超高額だった長距離電話を気軽にかけ、沖縄と東京を人が簡単に行き来するなど、問題点を挙げればキリがありません。また笑いの演出や劇伴(シーンの背景に流れる音楽)もズレ気味ですし、泣けるために必要な物語の積み重ねもほとんどない。しかも余計な話が多く、毎回疑問が増えるので、朗らかどころか朝からイライラする人、続出なんです」(成田さん)