父が亡くなり、私はNHKの専属を辞めてフリーに。家族を養うために仕事を増やしたこともあり、格段に忙しくなった。ボクシングを見に行く機会も減り、おじさまとの交流もなくなっていった。

 おじさまは、とても硬派だけど優しい紳士だった。2度目だという結婚をして、子どもが生まれたときはとても喜んでいた。グラマーな奥様はお忙しかったんだろう。嵐の日に、坊やの子守をなぜか私たちがしたことがあった。

 ただ者なわけがない。だけど、まったく普通に接してくれる。ハンサムなのに、顔に刀傷がある。世間一般からは推し量ることのできない雰囲気は、まるでフィルムノワールの世界から飛び出してきたかのよう。

 誰もが戦争を経験してきた時代は、死と隣り合わせの日々を送ってきた人たちも大勢いたから、今のコワモテの人たちより凄みがあったような気がする。テレビ局にシベリア帰りのディレクターがいた時代だから。

 ペコは一体、どこでおじさまと知り合ったんだろう。今の彼女にはもう確認はできない。

 思えば、NHKの専属だった私が、おじさまと親しくしていたことが世間に知られたら、当時だって大変なことになっていたのかも。でも、令和の時代にはあんなすてきな紳士はいない。

 最後に会ったのは、1970年代中ごろだったと思う。後楽園ホールでボクシングの試合を見ていたら、「相変わらずきれいだね」と声をかけてきてくれた。おじさまは、1人青年を連れていた。その青年が私たちが嵐の日に子守をした坊やだったことは、後で知った。

PROFILE●冨士眞奈美(ふじ・まなみ)静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。