「人の笑顔を見るのが好きなので、苦にならないです。芝居もラーメンも、お客さんに楽しんでもらう点では同じエンタメだと思うんですよ」

 最初に開店した渋谷のラーメン店は、番組のスポンサードが1年で終了し、その後は自ら会社を興して独立。銀行に50回ほど頭を下げて3000万円を借り、東京・中延に店を構えた。経営は妻の能子さんもサポート。エステティシャンだった能子さんとはローカル番組の撮影で'94年に知り合い、遠距離恋愛を経て結婚している。

コロナ禍での出費は7000万円

 その後、伊東さんはラーメン店のスタッフたちが活躍する場を与えたいという意図もあり、店舗を増やしていった。経営に危機を感じれば大失敗する前に店を閉め、次の店を開く堅実路線をとりながら、国内に6店舗、海外4店舗まで拡大した。

「海外はマカオ、上海、北京に出店。普通のラーメン店ならフランチャイズ化しますが、僕は直営で行い、自分で現地に乗り込んで指導しました。もともと水泳のコーチをしていたし、人に教えるのが好きなんです」

 現在、ラーメン店は国内3店舗に縮小。その3店舗はスタッフに任せ、伊東さんは'21年に真鶴の『伊藤商店』をオープンし、能子さんとともに運営する。

「店舗縮小はコロナ禍の影響です。日本より先に海外はロックダウンしていたから、店舗の営業も完全ストップしていた。日本もそうなると確信し、海外を含めて50人ほどいたスタッフを守るため、海外の店舗はすぐ畳み、補償金を払った。国内に残した3店舗には銀行から3000万円を借り入れて、切り盛りしています」

真鶴の駅と港の間あたりに店を構える『伊藤商店』。休日には人が並ぶことも多い人気店
真鶴の駅と港の間あたりに店を構える『伊藤商店』。休日には人が並ぶことも多い人気店
【写真】デビット伊東、真鶴を盛り上げるために製作したグッズ

 海外店のスタッフに払った補償金も合わせると出費は7000万円。貯金はなくなったが、スタッフは誰も離れなかったという。伊東さんはさらに、能子さんを守るために移住も検討し始めた。

「以前は横浜に住んでいたのですが、コロナ禍の閉鎖的な空気の中で、奥さんの気持ちが不安定に。そんなとき番組の仕事でよく訪問していた真鶴に何度か遊びに行くようになり、2人とも開放的な土地の雰囲気を気に入ったんです」

 と伊東さん。能子さんもこう続ける。

「ここでは『伊東さんの奥さん』ではなくて、みんなが『たかこさん』って呼んでくれます。気取らずざっくばらんに話してくれるのが気持ちよくて。私は静岡の焼津出身なのですが、真鶴も同じ漁師町。雰囲気が似ているのも安心できました」

 真鶴は人口7000人弱の、神奈川県で2番目に小さな町。伊東さんにはもともと地方に移住して2人で何かしたいという夢があり、真鶴に住んでラーメン店を開くことに決めた。