麻雀に明け暮れた日々

 俳優座の同期ではないけれど、麻雀好きで思い出すのは、小林千登勢さん(享年66)。彼女は麻雀が好き……というか、競馬を含めたギャンブルが大好きだった。あんなに純情そうな顔をしているのに、人は見かけによらないとはこのことよ。

 彼女の家に遊びに行くと、『勝馬』という競馬専門紙がよく置いてあった(笑)。彼女も、旦那さまである山本耕一さんも下戸だったから、ストレス発散の意味もあってギャンブルが好きだったんだと思う。

 以前、この連載で小林千登勢さんと私とでヨーロッパを周遊したエピソードを書いた。当時、私たちは麻雀仲間でもあったので、実はその旅先で、雀卓があれば麻雀をしていたくらいだった。

 イタリアを巡ったときは「若い女性2人が麻雀に理解があるなんて珍しい!」ということで、イタリアの日本人駐在員の方が、わざわざ雀卓を探しまわってくれたし、ハワイの新婚旅行ではスチュワーデスさんたちと卓を囲んだことも。これぞ麻雀放浪記よ。

 いろんな人と麻雀をしたなぁ。ミニコミ誌の草分け的存在である『話の特集』という雑誌を知っているかしら?

 1965年の創刊から1995年の休刊まで矢崎泰久さんが編集長を務め、黎明(れいめい)期には谷川俊太郎さん、寺山修司さん、小松左京さん、小沢昭一さんなど多数の文化人が登場する先鋭的な雑誌だった。

 この『話の特集』、句会をしたり、マラソン大会をしたり、イベントを催すことが恒例だったんだけど、その中に麻雀大会があった。私も、その輪の中に入れてもらったことがある。

 ずば抜けて強かったのは、色川武大さん。またの名を阿佐田哲也。プロで“雀聖”と呼ばれた、本家本元、『麻雀放浪記』の作者さんである。もう強いのなんの。手も足も出ない。

 あまりに次元が違うから、素人みたいな私たちと卓を囲むことはあまりなかったけれど、私たちが打っている姿を、後ろから楽しそうにのぞき込んでいたなぁ。あるとき私が打っていると、「だめだよ。タンヤオピンフにならないよ」なんて言われてしまい、固まってしまったのはいい思い出ね(笑)。

 私は大酒飲みだったから、途中からお酒のほうに走ってしまって、麻雀はたしなむ程度になった。でも、麻雀はいろいろな人と「輪」を生むすてきな娯楽だと思う。少なくとも3人は友達ができる。養成所時代に、麻雀に出会えたのは幸運だった。今でもわが家には全自動麻雀卓がある。

冨士眞奈美(ふじ・まなみ)●静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

〈構成/我妻弘崇〉