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ー 大学生のころからモテモテだった坂本さん

 3月28日、惜しまれつつも71歳でこの世を去った坂本龍一さん。2014年に中咽頭がんと診断されて以降は闘病生活が続いたが、最後まで音楽家、活動家として闘い続けた。

映画『戦場のメリークリスマス』で音楽を担当したことは有名ですが、細野晴臣さんと高橋幸宏さんで結成したテクノユニット『Y.M.O』の楽曲は、時代が変わっても古びることがなく、ずっと支持され続けています。坂本さんが音楽シーンに与えた影響は計り知れず、国内外から寄せられる追悼の声の数が、その証左です」(全国紙記者)

大学生のころからモテモテだった坂本さん

 マドンナや『BTS』のSUGAなど、世界有数のアーティストから寄せられた追悼文の数々。尊敬を集める所以は、音楽活動での実績だけではない。

「環境・平和問題についての関心も高く、自らの影響力を自認し、先頭に立って発言してきました。特に、2011年の東日本大震災後には積極的に支援活動に携わり、“脱・原発”を目指した活動も行いました。30人程度の集会にも顔を出すことがあったそうです」(同・全国紙記者)

 アカデミー賞の作曲賞を受賞するなど、数多くの名誉と栄光を手にしたアーティストでありながら、社会のためを思い行動を起こす。その姿勢が、ほかの音楽家たちの模範的な存在となっていた坂本さん。

 一方、プライベートでは意外な素顔を持っていた。

若いころは女の子をたくさん、はべらせていましたよ。70年代に世田谷の千歳烏山にオープンしたジャズ喫茶に、当時は大学院生だった坂本さんがよく来ていました。ヒッピーが全盛のころで、そんなキッチリした服装ではありませんでしたが、当時から頭がよさそうで、ミステリアスな雰囲気があって、とにかくモテました。近くの大学に通っている女子大生に、お酒を1杯おごってもらう代わりにレポートを書いたりしていました」(レコード会社関係者)

 学生時代に1度目の結婚。1982年にシンガーソングライターの矢野顕子と再婚。女優の中谷美紀や鶴田真由との交際を取り沙汰されることもあったが、晩年には心境の変化も。

「坂本さんが最後まで連れ添ったのは、事実婚の関係にあったAさん。舞台芸術の専門家で、コンサートツアーがきっかけで坂本さんのマネージャーになった女性です。1990年ごろから30年以上、一緒に生活をして、坂本さんのがん闘病も支えてきました」(スポーツ紙記者)

 多くの女性との浮き名を流してきた坂本さんだが、大きなトラブルを報じられたことはなかった。Aさんと出会ったのは、前妻・矢野顕子との婚姻中だったが、坂本さんの女性関係を容認していたという。

矢野さんは“アーティストとしての夫あっての私”という考え方でいたそうで、Aさんとの関係が発覚してもすぐに離婚はしませんでした。今回の訃報に際しても、追悼メッセージをSNSで発信しており、最後まで良好な関係だったことが窺えます。ほかの女性たちも、単なる恋愛関係を超えた魅力を坂本さんに感じていたんでしょうね」(同・スポーツ紙記者)

 矢野が寄せた追悼文は、《あなたがいなくなり、とても寂しい》という一文で締められている。素の坂本さんを知る女性たちは、ファンとはまた別の寂寥感を感じているに違いない。