父の後押しでヌード写真公開

「日本に帰ってきて、篠山さんのスタジオで両親と一緒にできあがった写真を見たんです。大きいスクリーンで、クラシックをかけて、すごい発表会を開いていただいて。そのときは、『どこまで世間に見せるか相談しましょう』ということだったんですけど、もちろん母は大激怒でした。『そんなの、絶対ダメよ!』って。ただ、写真好きの父は大拍手で、『こんなすばらしい写真を世間に見せないなんて!』って。父がそんなことを言っちゃったから、周りも『じゃあ、やりましょう』ということになって(笑)」

故・志村けんさんとは仕事帰りに会って、雑魚寝をする仲だった。一緒に旅行にもよく行った
故・志村けんさんとは仕事帰りに会って、雑魚寝をする仲だった。一緒に旅行にもよく行った
【写真】雑魚寝や旅行をする仲だったという故・志村けんさんとのツーショット

「人があまりやりたがらない役を演じる」という仕事ぶりと、ヌードも辞さない姿勢ゆえか、俳優・川上麻衣子には“色気と艶のある女性”というイメージが強い。それは、本人も認識するところのようだ。

「そう言われることは多かったですね(苦笑)。日活の映画『うれしはずかし物語』('88年)の主演もあったし、10代後半から24~25歳のころはわりとそういう色っぽい役が多かったです。でも、普段の私は本当に色気がないから、男性はみなさん『えっ?』っていう感じになりますよ(苦笑)。もっと色っぽいと思っていた人がたくさんいるみたいです」

 月に3度は一緒に飲みに行くという、いちばんの“飲み友達”である落語家の三遊亭好楽さんが、プライベートの川上について教えてくれた。

「私にいわせたら、『川上麻衣子には艶がある』っていわれたら、どこが? って感じ(笑)。男っぽくポンポン話して、実にカッコいい人ですね」

 好楽さんは否定したが、世の男性陣の目には川上麻衣子“恋多き女性”に映る。実際、数々の恋愛を重ねてきたのでは?

「それは……、いっぱいありましたよね(笑)。そりゃあ、10代から30代くらいの若いときは芸能界も華やかだったし。今は写真を撮られちゃったり、不自由なことも多いと思いますけど」

 いや。川上も過去に何度か写真を撮られ、多くの男性との恋が噂されている。

「その中には、本当のこともあれば、本当じゃないのも混じっていて。本当じゃない報道がいちばん面倒なんですよね(笑)」

故・志村けんさんとの噂は

 例えば、過去に故・志村けんさんと噂されたこともあったが……。

「志村さんとは本当に何もなくて(笑)。まあ、仲良かったですからね。私と可愛かずみちゃんが同じマンションに住んでいるころ、志村さんは暇だったんです。自分の番組以外は出なかった時期だったので。だから、私たちが仕事に行って、仕事が終わったら3人で会って、雑魚寝とかしてましたからね。みんな独身で、みんな寂しがり屋で、みんな酒好きだったので」

故・志村けんさんとは仕事帰りに会って、雑魚寝をする仲だった。一緒に旅行にもよく行った
故・志村けんさんとは仕事帰りに会って、雑魚寝をする仲だった。一緒に旅行にもよく行った

 その後、川上と志村さんが同じマンションに住んでいた時期もあった。

「私が港区のマンションに引っ越したんですけど、志村さんに送ってもらったときがあって、外からマンションを見た瞬間に、志村さんが『僕もここに住みたい』って。三鷹に家はあるけど、品川から乗る新幹線が近いからという理由らしいです。

 私がそのマンションに入居したときは空いている部屋が22階の1部屋しかなくて、その後に入ってきた志村さんは18階の部屋だったんです。ただ、どちらも同じ間取りだけど、そのマンションは1階上がるごとに家賃が5000円も上がったんですね。22階と18階って、家賃が全然違うじゃないですか? だから、家賃を下げたくて、私が『すみません、志村さんの18階の部屋と私の22階を交換してください』って、住む部屋を交換してもらいました(笑)」

 恋仲と誤解された志村さんという存在がいる一方、川上が芸能界における“お父さん”として慕っていたのは故・山城新伍さんだ。晩年は元俳優の花園ひろみさんと離婚し、長女である元俳優と疎遠になっていた山城さん。彼は、川上を実の娘と重ね合わせて見ていたふしがある。

「山城さんの娘さんと私が同い年で、私の母と山城さんが同い年なんですね。最初の出会いも、山城さんが愛人との間につくった娘が私……という設定のドラマだったので、本当に可愛がってくれましたね。山城さんがいてくれることが本当に心強くて。特に、京都にある東映の撮影所なんて厳しい社会じゃないですか。でも、『山城さんが可愛がってる子だよ』と伝わるだけで、皆さんからよくしてもらえたんです」