今は近所に暮らしているというかしまし娘の3人(上から花江さん、照枝さん、歌江さん)

今は近所に暮らしているというかしまし娘の3人(上から花江さん、照枝さん、歌江さん)

【写真】現在のかしまし娘の姿にほっこり

着替えはみんなのいるとこでするしかなかった

 照枝さんは高齢者施設に入ったこともあるそうだが……。

元気なんですけど、息子に迷惑かけたくないからって、自分で決めて入居先も探してきた。息子は優しいから、冷蔵庫やテレビ、新しい家財道具を買って準備してくれて。私は寂しいなぁと思いながら、送り出したの。そしたら姉は入ったその日にイヤになって、帰るってゴネ出したんです。

 ウチが“3日ぐらいは我慢して”と、とりなしたら、4日目に家に帰ってきました(笑)。息子にも施設にも迷惑かけて……。でも、住み慣れた家がいいって気持ちはわかるわね。好きなときにごはん食べて、テレビ見て、自由にできるし。私も家で暮らしたい。姉妹で近所に住んで、支え合えるのは、ありがたいことやね」

 昭和初期から演芸界で、女性が生き抜いていくことは、大変ではなかったのだろうか。

小さいころから、親と離れて旅回りしていたんで。楽屋で寝泊まりしているときに、寝相が悪いと蹴られたり、いじめられたりはあったけどね。そんなにつらい思いをした感覚はないんです。今と違って、楽屋は男女の別がなかったから、着替えはみんなのいるとこでするしかなかった。

 でも、下着はつけているし、ささっと部屋の隅で着替えればすむことでね。ただ、楽屋では師匠や先輩がいるから、男女ともに若手は居づらかった。京都の劇場は裏が墓場やったので、空き時間はみんなで墓場にいましたね。“あの先輩感じ悪いよね”とか好き勝手言えるので、楽屋より気楽やったんです」

 かしまし娘としてデビューしてからは、テレビやラジオなどメディアにも進出し、周りの環境も変わっていった。

「私は女やから得したと思ってるの。若い女の子が、歌って漫才するのが珍しかった時代やから、ええ線いったんと違うかな。興行師で芸人でもあった父は、“女の子は下品なことやったらあかん”っていうのが口癖でした。

 だから、ウチら下ネタはやらなかったの。他の人の悪口も言わなかった。おかげでネタは狭いんですよ。姉妹のケンカみたいなネタばっかりで、マンネリになりやすかったかもしれないですね」

 漫才出番の衣装は、自前が原則。それは昔も今も変わらない。

「女の芸人のほうが、衣装にお金はかかるわね。ウチと照枝姉ちゃんはおそろいの洋服をあつらえて着たから、それなりの値はするし。歌江姉ちゃんは着物やからさらに高い。寄席の出番はそんなに儲からないんで、衣装代のほうが高くつくこともありました。

 でも夢を売る商売をやってるんやから、きれいにしておくのも大事やと思うのよ。ウチらはいち早くミニスカートもはいたし、体形維持するために頑張ってしていた。最近はTシャツとか普段着のような格好で舞台に立つ子がいるけど、あれどうかと思うのよね。ちゃんとした衣装でお客さんの前に立つのは、芸人の礼儀でしょ。そんな考え方、古いんかな?」

 女性芸人が増えた現在の状況を、花江さんはどうとらえているのだろう。

「実はお笑い番組をほとんど見ないの。自分が漫才やってウケないつらさを味わってるから。人が漫才やってるのを見ると、今もつらくてしょうがない。新しいお笑いの人はほとんど知らんので、偉そうなことは言えないけど。

 礼儀正しくしたほうがいいというのはあるわね。ちょっと売れると偉そうにする後輩がいたんですよ。こちらから挨拶してるのに、返事もせんとかね。でも、そんな人は結局、人気も長続きせんの。落ちぶれてから態度を改めても、もう遅いんです」