高校は芸能科のある都内の高校に通っていました。明るくて元気な子だったので、友達も多かったです。自分でも“誰とでも仲良くなれるのが長所”と言っていましたね。高校を卒業してからは女優の活動をしつつ、表参道のパンケーキ店でアルバイトをして、生活費も自分で稼いでいました。彼女からは、どんなときも弱音や文句を聞いたことがなかったです

“早く有名になりたい”

 20代半ばになり、女優としての仕事が増えてきた矢先に、病が見つかったという。

5年ほど前にがんが見つかり、それからは病院に通って治療に励んでいました。まだ若いのにがんがみつかったら、普通は落ち込むところですが、彼女は常にポジティブでした。治療の影響で髪の毛が抜けて、ここ数年はウィッグをつけて過ごしていましたが、“毎日違う髪型ができる!ハッピー!”と話していました。“病気のことも武器にして、女優を続けていきたい。テレビのドキュメンタリーで取り上げてもらいたい。だから早く有名になりたい”と意気込んでいましたね」(井川さんの知人、以下同)

 最後に井川さんと会ったのは夏ごろだったという。

「その時は、ラム肉と彼女が作ったサラダを食べながら、お酒を少しだけ飲みました。彼女が出演していた映画やネットフリックスの番組を一緒に見て一緒に笑っていました。周りには笑顔で接して、弱っている姿を見せなかったので、もう病気は落ち着いたのだと。まさかこんなに早く亡くなってしまうなんて、思ってもいませんでした」

 31歳という若さで旅立った井川さん。人々の心の中で、彼女の笑顔は生き続けていくだろう。