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ー 大島監督の「ありがとう」は魔法の言葉
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ー 無駄を整理して息子たちとは付かず離れず

 2013年に最愛の夫にして、映画監督の大島渚さんを亡くした女優の小山明子さん(88)。

 大島監督が1996年に脳出血を発症してから、17年間もの長い介護生活も経験している。小山さんが、最愛の人の晩年を振り返る。

大島監督の「ありがとう」は魔法の言葉

「大島はロンドンで倒れ、向こう(海外)の病院に担ぎ込まれました。だからリハビリが早かったんです。つえがあれば歩けるし、言葉もゆっくりですがしゃべれる状態で帰国することができたんです」

 突然の発症は、大島映画の集大成となる『御法度』(1999年公開)撮影の直前。なんとしてもこの大作を完成させてもらいたいと、小山さんは夫の闘病生活を懸命に支えた。

 テレビや舞台からのオファーは引きも切らなかったが、女優の仕事をすっぱりと断念、夫の介護に専念した。

「家から40分ほどのところにいい病院があって、週4日リハビリに通っていました。言語と理学療法、作業療法の3つがセットになっていて、それにずっと付き添いました」

 懸命にリハビリに励んだ大島監督だったが、腰掛けようとしても、椅子を引くこともままならないときがある。決まって小山さんが駆け寄り椅子を引いていたという。

「そのたびごとに大島が“ありがとう”と言うんです。“パパができないならば、私がやるのが当たり前。だからそんなに『ありがとう』って言わなくていいのよ”って。

 でもこれは私にだけじゃなくて、住み込みのお手伝いさんからリハビリについてくれる人、運転手さんにまで必ず“ありがとう”と言っていましたね」

 “ありがとう”のひと言で疲れは吹き飛び、夫への愛と尊敬がさらに深まっていった。

'96年に夫の大島監督が脳出血で倒れ、介護の日々が始まる
'96年に夫の大島監督が脳出血で倒れ、介護の日々が始まる

「だから“ありがとう”は魔法の言葉だなって(笑)。大島は自分がそうした身体になったことを受け入れたんだと思います。リハビリの先生に“大島さんは珍しい患者さん”と言われましたから。

 社会的地位や名誉がある人ほど、“あれもやれこれもやれ”とうるさいそうですが、大島はそうしたことはひと言も言わない。言われたとおりに受け入れていました」