だが2001年ごろ大島監督が十二指腸潰瘍穿孔(せんこう)を発症。5か月間の入院でリハビリができないことで、さらに体重は45キロまで激減してしまう。そしてほとんど言葉を発せない状態になってしまったのだ。

 夫との別れは2013年にやってきたが、亡くなる直前、今も忘れられない出来事があったという。

 当時、大島監督はすでに集中治療室に入っていた。小山さんが病院に行くと、人工呼吸器が外れているではないか。あわてて医師に尋ねると、“自発呼吸ができているから大丈夫。意識もはっきりしています”と、医師が外したようだ。

 だが小山さんは直感で「“今がお別れのご挨拶のとき”と感じた」という。死期が近い患者でも最後、自発呼吸を取り戻すことがあり、それだと小山さんは悟ったのだろう。

「1時間、出会ったときの話など、私が一方的に話したんです。最後に“私はパパのことが大好きです。パパも私のことが好きだったら手を握り返して!”と左手を握ったら、ギュッ、ギュッと強く握り返してくれて──」

 言葉にできないような喜びのなか、この最後のチャンスを逃すまいと、小山さんはさらに畳みかけたという。

「“神様が最後のお願いを聞いてくれるとしたら、パパはどうしたい? 家に帰りたい? おいしいものが食べたい? それとも飲みたい?”と聞いたら、“飲みたい”と。

 それで江戸切子の可愛いグラスを自宅から急いで持っていって唇にお酒をチョンチョンと。いいお別れができたと思うから、私、思い残すことはまったくないの」

 2013年1月15日午後3時25分、死去。小山さんの“没イチ生活”が始まった。