目次
Page 1
ー 出産後にステージIVのがん宣告、余命1か月の母の心境
Page 2
ー 新たな治療、家族を思って決意した手術
Page 3
ー 「母親として私はこの子に何も出来ていない」

「夫と娘を残して死にたくない」

 そう語るのは、昨年8月23日に女の子を出産した首藤彩乃さん(33)。彼女は今、念願の我が子を出産したばかりだというのに、ある病気と闘っている。

 不妊治療の末、ようやく女児を出産した彼女は産後、自身がステージIVのがんであることを知る。出産後退院するもがんによってまた入院。余命宣告を受けるもがんと闘う彼女。自身のSNSでは、新しい治療はないかと自ら情報を集めて闘い続けている。その姿を追った。

出産後にステージIVのがん宣告、余命1か月の母の心境

「娘のりずを授かる前に、私は2回流産していて、不妊治療専門のクリニックを受診し、やっとの思いで娘を授かりました。妊活中は、生活リズムを整えたり、有酸素運動を取り入れたり、食生活では妊活に必要な栄養を積極的に食べるようにしていました。不安はもちろんあったのですが、夫婦2人だけの妊活期間は、今となっては楽しくて、かけがえのない時間でもありました」

 そんな彼女が、身体の異変に気づいたのは妊娠発覚から、7か月ほど経ってから。

「右のみぞおちの胃のあたりが痛いなぁと感じるようになったのはその頃からです。担当してくださった産婦人科医には、妊娠中の胃痛だろうと、胃薬や点滴で対応してもらっていました。

 しかし、妊娠後期になると、ときおり背中を貫通するような激しい痛みが走ることもありました。初めての妊娠ということもあって、その時はそのまま過ごしていたんです。その後、陣痛促進剤で予定日より1週間早く娘を出産しました」

 念願の妊娠。初産ということもあり、彼女はその時の痛みを気に留めなかったそうだ。そうして出会えた我が子。初めて対面したときのことを彼女はこう語る。

「娘が産まれた時は、“え?私が本当に産んだの?”と、実感が湧かなかったです(笑)。でも、隣で、夫が“産まれたよ!よく頑張ったね!ありがとう!”と声をかけてくれて、娘を抱いた時、“あー私が本当にこの子を産んだんだ……”と、実感しました。よく見ると、夫に似ているところもあって、小さな手がとても力強く、そしてかわいい手でした」

出産時の彩乃さん、生まれてきた我が事の初対面
出産時の彩乃さん、生まれてきた我が事の初対面

 お腹を痛めて生まれた我が子と対面した時間はかえがえのないものだったと話す。そんな彩乃さんの体調が悪化し始めたのは、出産を終えてからだ。

「産後は、食欲もなくベッドから起き上がれない日が続きました。そうして、一気に体調を崩し、救急車で総合病院のERに運ばれることに。そこで私の身体の詳しい検査を初めて受けたんです」

 産後の異変から緊急入院。検査が終わったあと、彼女は医師から病名を告げられる。

「横行結腸がん 多発性肝臓転移ステージIV(※)でした。医師からは“余命は生命力が人それぞれなので、細かい事は言えません。がんを切除することが難しく、手術が出来ないため、治療することもここでは出来ない。なので、緩和ケア病棟に転棟​して下さい”と言われました」(※大腸がんの一種。そこから肝臓にも転移している状態)

 がんを宣告された当時の気持ちを彩乃さんはこう語る。

「“え?私は死ぬんですか?”と、ただ唖然としました。たった5日前に娘を産んだばかりだというのに、手術も治療も出来ず、ただ死ぬのを待つだけなの……」

 把握できない感情の中、彼女がただ思えたこと。

「死にたくない、夫と娘を残して死にたくない、ずっと一緒に居たい」

 それだけだった。