アスリートとしても、母から教わったことが今につながっている。

「加代子さんはバドミントンで国体に出場した経験もあります。大谷選手も子どものころに自宅前でバドミントンをしたり、加代子さんの所属するチームの練習に一緒に行くのが楽しみだったようです。“バドミントンをやっていたことで、身体のバランスがよくなった”と本人も話していましたね」

両親の“リフォーム拒否”

 もちろん、支えてくれたのは母だけではない。社会人まで野球をプレーしていた父の存在も大きい。

「父の徹さんとは、幼いころからよくキャッチボールをしていたそうです。大谷選手が小学2年生のときに『水沢リトル』で野球を始めると、コーチでもあった徹さんと“交換日記”をしていました。大谷選手がその日できたことや反省点を書き、それに徹さんがアドバイス。その中で“全力疾走”など野球に対する姿勢を特に教えていたようです。それがあって、今の全力プレーでファンから愛される大谷選手になったのでしょう」

 両親がそろって気をつけていたことがある。

「夫婦ゲンカをしないようにしていたそうです。大谷選手が家にいるときは、ほとんどリビングにいて“居心地がよかった”と当時を振り返っていました。そうやって伸び伸びと育ってきたみたいです」

 手塩にかけて育てられ、大谷選手も感謝を忘れない。

「両親について、“支えてもらいながらやりたいことをやらせてもらってきました。感謝しかないです”としみじみと語っていました。そういった気持ちから、日本ハム時代にさまざまな賞を受賞し、その際に副賞として車をもらうと、家族にプレゼントしていました

 受け取りを“拒否”されたこともあった。

翔平くんが実家のリフォームを提案したことがあったそうです。ただ、両親は“貯めておくように”と言って翔平くんのお金を使わずにリフォームをしていましたね」(大谷家の知人)

 両親の支えがあったからこそ、1015億円という大型契約を結ぶに至った。ドジャースでの活躍で、どんな恩返しをするのだろう。

梅田香子 スポーツライターとして、野球以外にもフィギュアスケートやバスケットボールなど多くのスポーツに精通。現在はアメリカに在住し、大リーグを中心に取材活動を行う