長嶋終身名誉監督を1時間質問攻めに

 これまで作った『かたり』は、127本。コロナ禍の前までは、年間80席ほどを全国各地で上演していた。

 一度だけ、たった1人の前で語ったことがある。

 場所は、東京高級住宅地に建つ大邸宅の大リビング。目の前にはあの、長嶋茂雄読売ジャイアンツ終身名誉監督。今は山田の持ちネタになっている「長嶋天覧試合本塁打」をいずれやりたいと、山田は長年考えていた。ホームランを打たれたピッチャー、村山実さん('98年没)とはテレビ番組で共演していた間柄で、話は聞いていた。「あとは長嶋さんだ」。そう考えた山田は、旧知の元巨人軍監督の中畑清に仲介を頼んだ。

「何年も待ちましたが、やっとご自宅に伺うことができて、村山さんから見た『天覧試合』を生で聞いてもらったんです。終わったら、パッと立ち上がってひと言『うん、ベリー・グー!』。本当に英語だったんですよ」

 何でも聞いて、と言う長嶋終身名誉監督のゴーサインで、1時間みっちり質問攻めに。巨人軍の上演許可もその場で取ってくれたという。

「長嶋さんの誕生パーティーに、何度かゲストとして呼んでもらいました。1時間の尺の『長嶋茂雄物語』を30分の短縮バージョンでしゃべりました。持ち時間はその場で言われますので、その場で尺を短くします」

 “編集力”が、こんなときにものをいう。

 ある日、会場で、元大リーガーの松井秀喜氏の姿を見つけた。山田は近寄り「作っていいですか?」と速攻で許可取り。「僕が、ホームランを打てる球だけを待っている、とか話すと自慢話になっちゃうから、山田さん、ぜひしゃべってください」。それが松井氏の二つ返事だったという。

死後初めて語った母親の介護

 大阪公演、東京公演で大成功を収めた『かたりの世界』。その最中、昨年12月16日に山田は、最愛の母を見送った。

「8年間、介護したんです。90歳でした。ずっと認知症でした」

 と、母親の死後初めて、山田が詳細を語り始める。

 それまでも山田は、大阪で仕事があると、必ず母の元に寝泊まりしていた。

「ある日、冷蔵庫を開けたら、同じプリンが20個ぐらい入っていて、当時の僕は何の知識もないので、怒ってしまったんです。でも本人は、買ったことを忘れているんです」

「お母さん、おかしい」と気づいたのは妻の美恵さんだった。

「うちの犬を母に託していたんですけど、大阪に行くたびに痩せていて、ごはんをすごくねだってくる。認知症だとペットにごはんを食べさせたか忘れちゃうんです」

 それから夫婦で、ミニシアターで上映されることが多い介護関連のドキュメンタリー映画を見まくった。

「映像にはどこか笑えるシーンがあるので、介護をしんどく受け止めすぎないために、映画は役立ちました」と、美恵さんは自分たちの取り組みを振り返る。

 ABCラジオ『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』(月~木、朝9時~12時)の火曜レギュラーを務めていたことも、山田にはプラスに働いた。毎週火曜日に生放送があるため、大阪に行かなければならないからだ。

「月曜日の夕方、大阪に帰ります。夕方5時に施設から帰ってくる母を出迎えて、おむつを替えて、脚が弱らないように散歩に出かけます。で、公園のベンチで、2人で歌うんです」

 母が若いころに好きだった歌や童謡。『リンゴの唄』や『青い山脈』『ふるさと』『赤とんぼ』などをYouTubeに流れる歌詞を見ながら、母と息子は、日が暮れるまで歌った。まるで映画のシーンのような時間を通し、2人は距離を縮める。