 
      「私の一目惚れでした」と登紀子がノロけるのは、夫の故・藤本敏夫さん。'02年に肝臓がんのため死去。58歳だった
     
      '44年、ハルビンで撮影した家族写真。長男の幹夫、姉の幸子、写真右の母親・淑子に抱かれているのが登紀子
     
      '62年、登紀子が東京大学文学部へ進学時に撮影された家族写真。演劇研究会に入ろうとするくらい演劇好きだった
     
      東大在学中の'65年、『第2回日本アマチュアシャンソンコンクール』で優勝。ゼミ以外は学校へ行かず、銀座のシャンソンの殿堂「銀巴里」に出演も
     
      東大在学中の'65年、『第2回日本アマチュアシャンソンコンクール』で優勝。ゼミ以外は学校へ行かず、銀座のシャンソンの殿堂「銀巴里」に出演も
     
      '60年に新宿へ移転した「スンガリー」。店内には世界中の音楽が流れ、登紀子が音楽を好きになるきっかけにもなった
     
      レコード会社の社長には「ヒットが出なかったらディレクターにでもなって」と言われたデビュー当時
     
      「分断されている人たちをつなげたい」。歌の力を信じて、登紀子は今日もステージに立ち続ける 撮影/佐藤靖彦
     
      歌手・加藤登紀子(80)撮影/佐藤靖彦
     
      80歳を超えて、ますます活動的に。この日も取材の後、福岡でのコンサートのために東京を飛びたった 撮影/佐藤靖彦
     
      昔のことを、まるで昨日のことのように話す。その話術は、聞く人すべてを惹きつける 撮影/佐藤靖彦
    
 
    
 
   
    










