医師からは人工透析(自分の腎臓の代わりに人工腎臓のフィルターを介して、血液から老廃物や余分な水分を取り除く治療のこと。医療機関に週3回通院し、1回4~5時間を要する)をすすめられる。

弟が「オレが提供するよ」

透析を受けると時間的制約があり、仕事が続けられなくなるという思いがあって、最初は投薬治療を受けたんです。でも何か食べると、身体が受けつけなくて口から噴水のように吐き出してしまうんです。身体中に赤い斑点も現れて。人工透析を受けることにしたんです

16年前、事務所社長であり弟の廣原伸輝さんと。同意してくれた弟と家族には、今でも感謝しかないと松原さんは語る
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【写真】ベッドに横たわり……移植手術に向けて入院した際の松原さん

 地方にいるときも、病院を探して午前中に透析を受け、午後からステージに上がっていた。高音が出づらくなり、呼吸もつらい。それでもステージに立てば病気である様子は見せなかった。

しんどいけれど、そういう身体をつくったのは私ですもの。愚痴れなかったわよ

 先が見えない闘病生活が続いていたある日のこと。歌手仲間の山本譲二さんに斑点だらけの腕を見られてしまう。そして事情を聞いた山本さんがサラッと言った。

『だったらさあ、(家族に)腎臓もらえよ』って。いやいや、そんな簡単なことじゃないのよ。できるわけないじゃないですか、と(笑)。でも話を黙って聞いていた弟が“オレが提供するよ”って言い出したんです。

 担当の先生も移植を受ければ健康になれるとおっしゃってくださったんですが、私は病気なんだから手術を受けるとしても、弟は健康で身体にメスを入れる必要はないんですよ。

 私のために腎臓を取り出すなんて、そんなことをしてもらっていいのか、葛藤がありました。ところが母までが“私の腎臓を”と言い出して、弟いわく、若い僕の腎臓のほうがいいだろうと

 そのときの心境を弟の廣原伸輝さんは、笑いながら話してくれた。

腎臓は2つあって、1つあげるだけですから。抵抗はありませんでしたよ

 松原さんは、手術当日まで悩み、泣きながら“やめてもいいんだよ”と何度も話した。泣く松原さんに向かって、弟が「じゃあね」と手を振ってオペ室に向かった姿が今でも目に焼きついているという。